http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040820
そしてマイケル・ムーアがいちばん好きなドキュメンタリー映画は…
「ゆきゆきて神軍」!
わあ、要するにムーアってのは奥崎謙三だったのだ。
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よくわかる。
小生も大学生のときにこのビデオを見た。、最初の結婚式のところから、スピーチをする奥崎氏から出てくる、なんだかすげえパワーに圧倒された。
あんまり圧倒されて、ストーリーをよく覚えていない(笑)
最後、獄中に入った奥崎は、日本人に思想的な課題を突きつけながら、塀の向こうで人生を終えるだろうとなんとなく思っていた・・・
しかし彼は戻ってきた。
面白いから「神様の愛い奴」の話をしたら「そんなバカな」と信じてくれないので
ビデオを送ることにした。
くれぐれも奥ちゃんと一緒に観ないように。
この「神様の愛い奴」とは、こんな話である。
http://www.eiga-kawaraban.com/00/00121302.html
そしてこの映画がガラリと様子を変えるのは、奥崎謙三をアダルト・ビデオに出演させようという話が出てくる中盤以降。序盤はすべてこのAV撮影までの助走だったのか!
僕は『ゆきゆきて神軍』を観て、奥崎謙三という人物に「唯我独尊の反権力主義者」というイメージを持っていた。だがこの『神様の愛い奴』では、そんなわかりやすいイメージなど木っ端微塵に打ち砕かれ、蒸発してどこかに消えてしまう。反骨の個人闘争を続けていた、反権力の闘志だと思っていた人が、AV女優にチンポコなめられて感激し、(おそらく)数十年ぶりに若い女と性交して体中をつっぱらかしている間抜けさ。しかも女優が腰使っている最中も、奥崎本人は手や頭をばたつかせて独自の「血栓溶解法」をやっている大間抜け。最高です。この瞬間から、僕はこの映画が大好きになってしまった。AV撮影が過激な内容になればなるほど、奥崎節も快調になっていく・・・
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「奥崎謙三」氏のこの2作品から出てくる、あまりにも映画評論からかけ離れた感想を言っていい?
あと、前提とする仮説は、医学という専門領域の分野で個人的には
検証不能だということを前提とした上で申し述べる。
「ひょっとして奥崎さんって、基本的に精神を
病んでる人なんじゃないのか?」
もちろん裁判の際に、精神鑑定は受けていた(はずだ)し、この2本の映画の前に、奥崎氏に取材した沢木耕太郎の「不敬列伝」(新潮文庫「人の砂漠」収録)によると奥崎氏は、自動車は映画の通りのアレ(笑)だが、地域社会で真っ当に電気屋を営んでいて、取材で密着していた沢木に「人に頭を下げてこそ一人前だぞ」と教訓を垂れていたとか(笑)。
しかし、やっぱり第二作目は奥崎氏が「信念ゆえの奇人」や「妥協を許さぬ思想の為、狂気に見える」とかいう奇麗事ではすまない世界だろう。
「ゆきゆきて神軍」での、妥協なき上官、戦友の追及は「狂気の如き思想」に見えるが、実のところ「思想の如き狂気」だった・・・なんてことになったら、なんとなくハシゴを外された気がしないでもない。
ムーアが、「神様の愛い奴」の内容を信じなかったのは、「オクザキがそんなふうになったら、『ゆきゆきて〜』の前提が崩れちゃうじゃん」という部分もあると思うんだが。
これは仮説。
で、もし奥崎氏の神軍としての戦いが、精神的なご病気の産物だとしたら・・・こんどはポリティカル・コレクト的にいかがなものかって話にもなるじゃん。
「精神を病んだ人をさらしもの、見世物にするものだ」って。
(ただの「変人」であったとしても、見世物性は間違いなくあるのだけど)
葦原将軍のお言葉をエンターテインメントとして楽しめた時代とは違うのだ。
でも、もし仮説が正しいとしたら、「ヤマザキ、天皇を撃て!」という言葉をどう評価すべきなのか。
というか、「狂気」って何?