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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

華氏911で議論さかん


元サイトがすでに更新されているので、全文を転載しても構わないか。

http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/

マイケル・ムーアを唐沢さんと対談したときに批判したので、「正義派」の人たちに怒られてます。どうも、世の中には「正義のためならルールは無視していい」と考える人のほうが多いみたいです。私自身は「ワイルド7」とか好きだから、そういう気持ちもわからないではありません。でも、あれはフィクションです。

で、我々が住んでる世界は民主主義で、この政治システムの本質は「愚直なまでにルールに忠実であること」だと私は理解しています。正義の味方かもしれないけど、ドキュメンタリーのルールを無視して事実の歪曲に無頓着な「ボウリング・フォー・コロンバイン」を私はドキュメンタリーとして認めることはできません。そして、そういう作品を「真実だ」と判断させて選挙に行かせるのは、とても危険なことに思えます。政治的に使うことを前提とするなら、それは「作品」ではなく、「実用品」でしょう。

ムーアの「後撮りのカット割り込み」の倫理違反に関しては、私は映画「ブロードキャスト・ニュース」を前提に話していますが、はたして何人がちゃんとあの映画を見て反論してるやら。でも、「ドキュメンタリーだろうが何だろうが、ムーアは正しい!」と叫ぶ人たちの気持ちもわかるつもりです。なので、これからはムーアのことを「正義のゲッペルス」と呼ぶことにしました。やってることはゲッペルスだけど、目的や動機が正義だったらかまわない、というわけですね。私個人としては正義だろうと悪だろうと、ゲッペルスはお断りですけど


その反響がこんな形で伝わっていて。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040801
岡田斗司夫さんは町山さんと対立してるんですか?」
というような問い合わせの一般からのメールが最近急にやたらに、
といっても三、四通だけど、来たんですが、
「なぜそんなこと訊くんですか?」と逆に質問しかえしたら今のところ返事がない。
いったいこれはなんなんだろう?

そういえば「創」の対談をあそこで最初に紹介したのは自分だけど、
ここまで話が大きくなるとはね。上の引用は、下のコメント欄がさらにおもしろい。



「正義のゲッベルス」という興味深い用語を目にして思い出したのは、1989年12月のルーマニア革命における挿話。
全面的な内戦に突入して以降「ティミショアラでチャウシェスク大統領の秘密警察が住民を虐殺した」という報道と「虐殺」写真が世界を駆け巡った。
しかし、内戦が決着し大統領が射殺された後、「あの写真は、病院の解剖用遺体を持ち出して撮影したもので、虐殺はウソだった」との事実が判明した。



このプロパガンダを指揮したのはだれかわからないが、結果的に独裁政権の打倒に、このプロパガンダは寄与したのでる。

さらにこれが大規模になり、1990年の湾岸危機の際に「イラク兵がクウェートの病院で未熟児の治療器を奪い去って子供を殺した」という話や、ボスニア内戦に関する「戦争広告代理店」の暗躍などにつながる。

さかのぼれば、中国国民党政権の「チャイナ・ロビー」が日支事変において、戦場では敗北しつつも、宋美麗らの指揮の下”ワシントン戦線”でおつりが来るぐらいの大勝利を収め、大日本帝国を最終的な崩壊に導いたのも「正義のプロパガンダ」に入るかもしれない。小林よしのり櫻井よしこ安部英批判も、ここに入れるべきだろうか?


チャウシェスクセルビアのような悪なら、プロパガンダもありか。
塩でたべればいい上等の肉にケチャップをかけるようなもんで、そもそも不要だろうという気もするが。
しかし、この問題は連続しているように見えて、微妙に方向がずれている。

岡田氏の主張への反批判は「正義のプロパガンダ、悪へのプロパガンダなら許されるか」という(目的の)部分と、「ムーアは意図を明確にして、見たい人が見るという「ドキュメンタリー映画」という形式を取っているから批判されるに当たらない」という(手段の)部分があるからだ。


http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040802

# TomoMachi 『僕はgryphon氏に対してすぐにはっきり「公平でない意見はそれをちゃんと明確に表明して見たい人だけが選択できるようにすべきです」と明確に答えていますよ。つまり400万人もの人間がそれを「報道」として観ているFOXのようなマスメディアは公平であるか、公平でないことを明示すべきだと。「華氏911」は最初から反ブッシュ映画だと明示しているので、それを見に行く時にすでに選択と心の準備があるわけです・・・・・・』
(略)
# bakuhatugoro 『追伸。http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040801のコメント欄、読ませていただきました。赤勝て白勝てと煽る意図はまったくありませんが、本文にも書いたように、岡田氏は「正義のゲッベルス」という言い方で「プロパガンタ自体がよくない」という論旨の批判をしているのは明確だと思う。ゲッベルスの細かい理解云々にかかわらず。もし町山さんが、プロパガンタをそう明言して引き受けるのであればそれを容認すると言う立場であれば、そこにはっきりと対立点があると僕は思います。そして、正しさというのは、こうした対立点の検証によって、かろうじて独善を免れるものではないかとも。』

# TomoMachi 『プロパガンダがいいか悪いかはメディアによります。一般の受け手が無防備に観てしまうようなメディアでは公平であるよう努力すべきです。特に「報道」とうたっている場合は。岡田さんはきっと「ドキュメンタリー」と「報道」をカン違いしているのでしょう。「報道」には公平であるべきですが、「ドキュメンタリー」は「報道」ではなく、逆にある特定の主張の下にまとめられたものです・・・

町山氏が紹介したブログに出張してコメントをつけているので、非常に重要。
小生もこれから書いてきまっす