INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

華氏911関連

ネオブラッドやPRIDEなどに当方が忙しく、そのあおりで町山ブログのチェックを怠っていたら3つも更新されていた。


その中でも古いほうの記事が


http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040725
「 放送の公平原則がなくなるとどうなるか?」で、FOXニュースの現状を論じている。
FOXは、スカパーではエンターテインメントを中心に722chでやっていて、そういえばクリントン政権を揶揄したような「ワグ・ザ・ドッグ」を何度も放送してたな。
でもあの映画の内容って、ブッシュ政権にもあてはまるがね(笑)。



これのきっかけは以下のニュースね。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20040720k0000m010134000c.html
放送法
自民が改正を検討 政治的公平の削除狙う
 自民党が、メディアの政治的中立を定めた放送法を改正する方向で検討を始めた。同法の「政治的公平条項」を削除し、党の見解などをアピールする専用チャンネルを設けたり、特定の政治的立場にある放送局でも新規参入を認めることが狙い。8月中にも放送法改正案をまとめ、秋の臨時国会議員立法での法案提出を目指す。公明党にも同調を呼びかける考えだ。

 自民党では昨年9月の総裁選や同11月の衆院選に対する報道への不満から、党幹部が特定のテレビ局に「出演拒否」した経緯がある。党内には今年初め、CS放送に独自のチャンネルを開設し、党の広報番組を24時間独占放送する構想も浮上した。しかし、放送法の「政治的に公平であること」(第3条の2)に違反する疑いがあり、具体化しなかった。

 しかし、参院選で獲得議席民主党を下回ったことを受け、党内には「メディアの姿勢を批判するだけでは足りない。もっと党をPRする方法を考えるべきだ」(13日の総務会)などと、メディア戦略の見直しを求める意見が再燃。放送法自体の改正に向け、所管する総務省などと具体的な調整に入った。

 政治的公平条項がなくなれば、政治報道は各局の自由裁量になる。米国では87年、視聴者が多様な意見に接触する機会を確保するため、連邦通信委員会(FCC)の規則から「公正原則」(フェアネス・ドクトリン)を削除。各局は原則として政治的中立性にとらわれずに報道できるようになっている。

政党間で格差も 同条項を削除すれば、将来、各党が独自の広報チャンネルを開設することは可能だ。しかし、7月の参院選でも社民党が資金不足などから、テレビCMを制限しており、専門家の間では「日本で放送局を新設できるのは、大企業や大政党に限られてしまう」と、政党間格差が広がりかねないとの懸念が根強い。【中田卓二】

この下に関係者のコメントや解説記事もある。



この話、記事が出たときに書きたかったが書きそびれていたので、この機会に。
個人的には大いにけっこう、自民は余裕を失って自分でクビを絞めたと当時笑ってたものだ。


スカパーで自民党チャンネルを造れば、支持者がふんふんなるほどと、熱心にその番組を見て投票する・・・なんてのは平壌放送日本語版の製作者なみの発想。
まずは「自由新報」の発行部数が「赤旗」を上回ってからの話だろうが(笑)。

視聴者のシビアな目にさらされれば、かつて北朝鮮が許可した「見せたい映像」だけを編集してたはずなのに、あの国の間抜けさと不気味さがダイレクトに伝わってしまう映画「金日成のパレード」ができてしまった・・・というのと同じことになるだけだ

そして末路は、スカパーの200番台にずらずら並んでいる広告TV局ほどの扱いも受けなくなるだろう・・・と思っている。



まあ、自民チャンネルなぞというのは1スカパー視聴者として見る気すらないのだが、それは別として、原則論からいっても放送法の公平原則はもともと特殊な制約のもとにおかれたものだったのだ。

もともと言論の自由とは、ありとあらゆるプロパガンダの自由を認めるのが本来であって、自民党の新聞雑誌も民主党の新聞雑誌も社民党の新聞雑誌もある。
阪神がんばれ」も「巨人万歳」も、「曙強い」も「サップがんばれ」も好きに発行し、書店の棚に並び、その中で売れる・売れないや支持される・支持されないを競うのが本来のあり方だ。


テレビやラジオの放送に「公平原則」があるのはなぜか。
それは「地上波の電波」というものが、どうしても少数に割り当てて使うしかないという物理的・科学的な限界があり、自由にほしい人が得て競争できるというものではないからであり、本来はやむを得ざる、理念に反する例外規定なのだ。

(そこでも番組やキャスターの個性によって立場
というのは当然出てくるが。愛川欣也のパックインジャーナルはあからさまだし、
未見だがやしきたかじんの「そこまで言って委員会」などはすごいらしい)



「放送」と「通信」の定義などをめぐっての混乱などもあったが、ケーブルやCS放送が普及し、数百チャンネルができてくれば、その例外的な「放送法」の前提自体が終わる。

ただし、私案としては普及率の差を考慮し、地上波とCSを分けてCSのほうだけに自由を認めるべきだと思う。その後は将来的な普及率によってだな。

しかし、その種の物理的な議論はともかく、政治的公平性を放送法で規制しない、撤廃するというのは理念としてはだれが提唱しようが方向としては正しいと言わざるをえない。


あとは「CS 又吉イエスニュース」の発足をまて。
いや、まとめて「根本敬チャンネル」にすべきか・・・

【付  記】
7/31の産経新聞に載った熊代昭彦自民党報道局長によると

「いずれは地上波でも改正すべきと考えているが、CS放送と
ケーブルテレビに限って条項を削除する原案を書いており・・・」

とのことだ。うむ、それなら正しい方向であると
あらためて申し上げる。




【31日付ブログの予告】