けっこう気後れしつつも蛮勇をふるってコメントを付けたら、拾ってくださるという望外の名誉を得た。うれしいので部分的に採録
http://www.ringolab.com/note/natsume/archives/001809.html
じつは70年前後の「たたかい」は、すでに「敵」の不在を自覚するものだったのも事実で、ベトナム戦争や国家、資本主義や「体制」にしても、ほとんど「仮想敵」という「とりあえず」の感じがあった。「敵」そのものが、めぐりめぐって自分に返ってしまい、内向し・・・、旧来の風刺マンガが力を急速に失い、違う方法論が劇画などで模索されたのは、まさにこの時代、社会の構成そのものが単純な二項対立的「敵」を成り立たせなくなったからだし、『ボーダー』でなぜ・・・
この夏目さんの考察を受けて書き込み
はじめまして。
数年前、2chのスレッドでは「前座」という名前で書き込んでおりました。
現在の自分のブログでは格闘技を中心にしつつ、別の話題にこじつけては「風雲児たち」の宣伝にいそしんでおります。番組はBS環境のせいでリアルタイムでは見られないのですが、「敵」がいそうでいない、いなさそうでいる、ということへの苛立ちということではかわぐちかいじ「ハード&ルーズ」も少し引いたスタンスながら表現されてましたよね。
時代もそうですが「ハードボイルド」「ダンディズム」は必然的に大衆蔑視になる、という部分もあるんじゃないか、と、勝手に話を広げてしまうのですが。Posted by Gryphon at July 3, 2004 04:59 AM
このややアサッテな問題提起を拾ってくれた。
http://www.ringolab.com/note/natsume/archives/001814.html
「ハードボイルドやダンディズムは、大衆蔑視になるんじゃないだろうか」という指摘があった。
そのとおりで、強烈な自意識、個の意識は、そもそも「他者と違う、唯一のオレ」という価値であり、その娯楽表現のひとつがハードボイルドだったりするんだと思う。
夜話『ボーダー』で出てきた「あちらとこちら」をめぐる問題は、あくまで『ボーダー』が生まれてきた歴史的な背景や、時代的な価値観について・・・
で、おいらはちょっと補足と弁明。
私のつたなく言葉足らずの印象論を拾って展開してくださり、大変恐縮です。
言い訳のごとく言葉を足すなら、私の発想は沢木耕太郎氏が「バーボン・ストリート」で書いたハードボイルド論、故ナンシー関氏が書いたダンディズム論に触発されたものです。
関さんは分かりやすく「街で何か人が騒いでいたら、オンナコドモは欲望に忠実に見に行きたくなるだろう。ダンディズムの人はそこをぐっと我慢する。要はダンディズムって”やせ我慢”のことでないか」(大意)と論じていました。そして、ダンディズムは相対化の視点でみれば「なんでそんなアホなことにこだわってんのよ」となりますよね。狩麻さんは、それを「そういやそうだよな」と受け入れて、ギャグに転化する視点も十二分に持ち合わせた人だと思います。これは80年代?の潮流なんですかね・・・そしてそれをくぐっても、なおカッコイイものがある、というのを信じられるかという点でそれぞれ立場が変わってくるのかと。(コメント欄の長文すいません!)
Posted by: Gryphon at July 4, 2004 09:24 AM
宝くじのあたりのようなまれなことだけれども、
ネットの効果をちょっと実感いたしました。
ちなみに、沢木さんが「ダンディズム」をテーマにしたコラムを書いてたのはバーボンストリートではなく「チェーン・スモーキング」のほうかも。ちょっと訂正というか保留。