まあ、ひさびざのディファ有明での格闘技興行なんで、ナウな若者(死語)らしくお台場でフィーバー(死語)するかね。
明日が暑かったら、水上バス。これが気持ちいいですよ。海を横切る爽快感がね。
ところで、この「お台場」という名前は何に由来するのか。
このブログではおなじみ、みなもと太郎「風雲児たち」幕末編4巻にその答えがある。
1953年のペリー初来航時、今までの外国使節には見られなかった威力外交、砲艦外交を駆使され防戦一方になった幕府は、老中阿部正弘のリーダーシップで態勢を立て直し、次の来航までに海防を充実させんと、開明派幕臣・江川英達に突貫工事の砲台建設を命じる。
江川「江戸湾に砲台を?」
阿部「そうじゃ 人工島を造り江戸城を守る!
場所はフジテレビのあるお台場にしようっ」
ずっこける江川。
江川「これから築くから『お台場』というのです。フジテレビが引っ越してくるのは150年あとですっ」
阿部「読者に場所が分かっていいじゃないかっ」
ギャグすなわち歴史知識、歴史知識即ギャグというみなもと氏の真骨頂だが、とまれ江川は不眠不休で、ペリー来航前に人工島と砲台を建設!!
年表をご覧アレ、黒船再来航はたった1年後の1954年だ。
米海軍が、自分たちが文明をもたらすはずだった未開野蛮の島国が作り上げた人工砲台を見て唖然とするシーンは、なんとも痛快である。(漫画の演出も多分に含まれているだろうが)
その砲台を、なぜ江川という男が建設できたのか、それをなぜ阿部は許したのか、だれが協力したのか、妨害したのか、ペリーが1年以内に日本を訪れた理由は・・・・・・それら全てが、「幕末編」以前の風雲児たち全30巻と、今後の本編につながり、広がっていく。
DEEP観戦者で、時間のある人は少し前の「お台場海浜公園」を散策するのも一興かと。あ、この場合はゆりかもめを使うことになるが。