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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

宝島30vs北朝鮮・・・その闘いの記録

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/
あと僕は「宝島30」の編集者として北朝鮮と日本の左翼の謀略を告発する記事を担当して、それをまとめた『除勝 金日成のスパイ』という本も作っています。それは総連の内部資料を徹底的に暴露した内容で、十年前の本ですが拉致や北のスパイの具体的な犯罪行為と日本のマスコミや社会党との癒着を当時はじめて告発したものです。問題は当時は拉致自体がマスコミでは否定されていたので、サンケイ(笑)以外では書評されなかったことです。拉致事件の問題化以前にそれを事実として内部告発した本なのに世間に無視されてくやしいですな。


あと、北から南に脱走した人の手記で「38度線突破!」という本も作りました。これは日本でヤクザに出入りして警察ともめていた兄ちゃんを親が心配して北に送ったら、もともと不良番長だった彼に共産主義は耐えられず、党員相手にさんざん反抗した挙句、ムカつく党員どもをブチのめして38度線を根性で突破してしまったという「朝鮮版けんかえれじい」のような痛快な手記です。結局、ほんとうに筋の通った男は右も左も蹴っ飛ばすという例です。彼は韓国に入ってから事業で成功して富豪になりました。

オレもこんな本を作りつつ宮内庁内部告発を雑誌に掲載して右翼から銃撃されたんで、後輩のIくんと二人でこっちから日本の主要な右翼団体を回って「誰が撃ったんですか?」と尋ねて回ったら「君があの総連のスパイ告発記事作ってるのか。よくやってるね」とホメられたりして、なんだかよくわからない感じでしたね。銃撃事件は犯人が金銭トラブルで組織の上部からサイレンサーつきの銃で暗殺されて終わりました。』

出版史の貴重な資料として引用、保存しておこう。小生は両方の本を読んでいるはずだが、その編集者までは分からないからな。


さて、どこまでが町山氏の担当だったのかは外部からは当然伺いしれないが、1993年に産声を上げた「宝島30」は、確かにもっともラディカルに、また新しい視点で北朝鮮に痛撃を食らわせ続けた存在であった。
もちろん、「諸君!」も「正論」も、少なくとも対北言論におけるその功績は、永遠に日本の出版界に輝き続けるものなのだが、またそれとは違った持ち味を発揮し、噂の真相からは「新保守雑誌が登場!」と叩かれたと(笑)。


1988年のソウル・オリンピックを前に、大韓航空機撃墜事件が勃発。
1989年、友好国ポーランドの映画スタッフが、北の見せたいところ、公式の発言をそのまま記録したら最高のギャグになったという映画「金日成のパレード」が公開。
1992年、関川夏央「退屈な迷宮」が発表された。


しかし驚くなかれ、60年代でも70年代でもない、この当時においても北朝鮮、および朝鮮総連への批判は相当に抑制される世の中の空気というものがあったのだ。
最近はさすがに、世の進歩陣営は「北の体制は嫌いだが・・・」「金体制は批判されるべきだが」・・というのを枕詞には置く(置くだけ)が、それをあの当時に言ってほしかったよ(笑)。

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そんな中の宝島30は、どうであったか。
今手元にあればもっと正確かつ詳細なリストができるのだが・・・

  1. 張明秀が「徐勝 英雄にされた元スパイ」で、徐氏が政治犯ではなく、まちがいなく北の手先として工作活動に手を染めたことを論証
  1. 「和田春樹は北のスポークスマンか?」という記事を掲載、

和田氏が抗議すると、逆に「和田氏への公開質問状!」を突きつける

  1. 故きむ・むいが「「チマ・チョゴリ切り裂き事件」の疑惑」というルポで、総連の一方的情報が流れている現状に切り込む。
  1. 朝鮮総連の研究」という特集を組む。のちに「別冊宝島」にまとまる。
  1. 金日成の死亡時、「さよなら、ぼくらの金日成」という特集を組む。


まだまだあるが、とにかく資料として提示する。
情理備わったルポを続けて発表していたきむ・むい氏は、その後若くして鬼籍に入られた。
のちに、総連の連中が反金日成集会を直接襲撃、集会を破壊するという暴力の現場に居合わせ、ルポを書くなどの業績もあり、今もいれば、さぞかし活躍していたろうにと惜しまれる。
彼の原稿を本にまとめるか、インターネットに記念サイトをつくり、彼の取材文を知の遺産として残したいものだ。

彼の原稿の著作権を、まとめて買い上げたいよ。



さて、徐勝事件に関しては7/1付にも
書くですよ。ここは午前1時から新しい日記をかける設定です