憲法記念日に合わせた記事か?国際面「地球最前線」によると・・・
ユタ州、ケントデリカットやうざい街角の勧誘者で知られるモルモン教徒の巣窟だ(おいおい巣窟って)。馬場さんも信者というトリビア。(でも禁止されてるコーヒーが好物だし)
で、モルモン教徒は1890年には外したものの、昔は「一夫多妻制」を教義的に採用していた。そのため、正統派キリスト教徒からは大いに批判的に見られていたわけだ。
(シャーロックホームズの第一作「緋色の研究」でも悪役だね)
現代でもいまだに「一夫多妻こそ正しい!」として実践するコミュニティもあり、その町の中では16歳ぐらいで実質強制の結婚をさせられる場合があるそうだ。
毎日新聞によると、その一人が結婚を嫌い逃げたということで全米の話題になっているという。
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さてさて、ここで無茶な私見を。
個人的に気になるのが最近同じく全米で話題の「同性結婚」。大統領選の争点でもある。多様なライフスタイルを認めるのが民主社会だ。うん正しい。
でも、ちょっといいですかね?未成年に結婚を強要するのは一応自己決定ができないから、ってんで法的には納得できるとしてもだ。
「一夫多妻は根本的にイクナイ!」というのを、どう理論だてればいいの?
というのは、同性結婚がひとつのライフスタイルなら、一夫多妻もライフスタイルじゃない。とくにモルモン教(分派)が認めてるというのは、宗教的な意味合いがあるなら宗教弾圧では?
おお、それどころか大宗教イスラームは4人まで妻を娶れるではないか。
近代社会というのは、ある種の枠組みを作るときに、基本的には価値中立であるように組み立てられるが、例えば「結婚」を法的に定義するときなど、どうしてもある種の価値判断を基盤とせざるを得ない場合がある。
その際にどうなるか、どうすべきか。問題の根は深いね。
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さて、この種の問題意識は、もうネタバレでしょうね、呉智英がデビューのときから一貫して持っているもので「封建主義者かく語りき」「インテリ大戦争」「サルの正義」などで手を変え支那を変え、いや品を変え論じていますな。
昨年だったか、浅羽通明氏が早稲田でやってる講義にゲストとして氏が招かれた際、呉氏は明治の文学理論が江戸時代、小説に「勧善懲悪」を求めるものだったところから、人間の悪も含めた自然を見つめるものに移行させた・・・ということを、この種の問題と融合させようとしている、と現在取り組んでいるテーマを話していた。
あの成果は、いつまとまるのだろうか。
もひとつ。宗教と近代社会の葛藤として、小さいニュースだが「フランスは公立学校の中で、イスラムの女性がスカーフを被るのを”宗教的行為”として正式に禁じた」という報道が少し前にあった。
これ、実は80年代後半からずっと持ち越されていたテーマ。
この問題を日本でその頃から紹介していたのが、意外や西尾幹二氏だ。
(「自由の悲劇」など)アメリカの田舎町と、花の都パリは連鎖している。