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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

続・DEEP雑感。前田吉朗vs大塚隆史の試合後マイクに「幻想の武士道」を見た、他

本当は翌日に書きたかったが、少し遅れてDEEP感想追加。
何度も言うように、DEEP50は基本的に「これはしのぎを削る好試合になりそう」という試合は好勝負になり、「こりゃ顔見世、イロモノだな」っつー試合はやっぱりそーなるという展開でした。
そしてその、好試合予想の筆頭が
前田吉朗vs大塚隆史」でした。そして結果は2-0で前田の勝利。
自分の見方としては「ま、ドロー判定が全くあり得ないとは言わないけど、3-0でもいいぐらいじゃないのかな・・・差があった中で、大塚は大健闘したのは間違いない(とくにパンチのラッシュはよかった)けど」というものでしたが、さて当人は。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/live/2010/2010102409/9.html

=試合後のマイク=
■前田「男としてもう一度勝負したい」
「佐伯さん、減量お疲れさまでした。ジャッジは2−0だったんですけど、素直にやった感想は“勝った”って思ってません。できればもう一度、このまま勝ち逃げしたい気持ちが大きいんですけど、男として大塚選手、もう一度勝負してください」
 
■大塚「もう1回やりましょう」
「おれもやりたい気持ちがありますけど、前田選手は上へ行って、おれはもう一度……(ここで前田、そしてリング下からDEEP佐伯代表が大塚を諭すように声を掛ける)OK、もう1回やりましょう」

ちょっと映像抜きだと分からないけど、要は大塚が再戦呼びかけに対し「自分は実績を積んでから・・・」と最初否定的に語ろうとしたと。
そしたら前田がそれを止める感じで話しかけ(マイクオフなので内容は不明)、それを受けてはじめて大塚が「じゃあもう1回」と応じたと。



うん、よき場面でしたよ。
実際、吉朗ファンとしても全力で勝ち逃げを薦めたいところだ。大塚の一番の強みは「若さ・のびしろ」であり、今の不完全さも未来の強さにそのまま繋がっているのだ。前田吉朗もまだ老け込むほどの年齢ではないが体力やダメージの蓄積的にのびしろが大塚並みにある筈は絶対にない。
でも、ああいうマイクをするのだよ。

 
あのマイクを聞いて、私が真っ先に思い出したのは
井戸の茶碗」。
http://esaki-ochi.hp.infoseek.co.jp/rakugo/02-i/0233idonochawan.htm

屑屋の清兵衛は…生活に困った千代田卜斎(ぼくさい)という浪人から仏像を200文で買い取った。清兵衛はこうした品は買わない主義なのだが……細川家の家来・高木左太夫という若侍がこの仏像を300文で買い取って磨くうち、中から50両の隠し金を見付けた。左太夫は仏像は買ったが金を買った覚えはないと、清兵衛を通して返却を申し出る。卜斎の方では、いったん手放した物から出た物は自分の物ではない、と双方で受取を拒否。困った清兵衛の・・・(略)

あらすじ読むより、実際に聞くほうが千倍いいかな。



ほんとは父・志ん生の「いーーーーーーーい女なんだ」という一節も聞かせたいところだが(笑)、志ん朝師匠でも文句ナシです。


こんなサムライが実際に何人いたのか、いないのか、こういう振る舞いを「武士道」と定義できるのか、そもそも武士道なんてきちんとした教義があるのか、実際に武士道武士道といっても幻想じゃないのか、海外にだって同じような美学や道徳律はあるはずで、日本固有でも武士固有でもないのではー−−、といった論はいくらでも立つし、まことにそれらはごもっとも、
 
だからこれは勝手な自分の好みということでいいのだが、
 
「貴方の中の幻想、イメージとしての『理想の武士道』とはどんなものだと思うか」
という問いへの答えとして、自分が用意しているのが「井戸の茶碗」の武士(と屑屋さん)です、というものだ。
 
それと今回の2人のマイクとがだぶって見えた。
ただ、それだけ。

関係ないが「井戸の茶碗」はドラマ化・映画化にふさわしいと思う。

実力派で清兵衛、千代田卜斎を固めれば、若い侍の高木左太夫をジャニーズのだれかが演じてもまぁ許す(笑)。いまどきああいう形で結ばれるというとちょっとウケが悪いだろうから、ト斎の娘さんは、もっと能動的・主体的に動くように脚色しないとダメだろうけどね。

空前にして絶後、22戦無敗の女王が世界の頂点に王手!29日夜、ニアライブ無料放送

http://cavea.jp/watch/30/bellator-season-3-34
 日時:2010年10月29日(金)21-23時 ※ディレイ放送
 視聴方法:無料

◇ミドル級決勝
アレキサンダー・シュレメンコ VS ヘクター・ロンバード
◇女子115ポンド準決勝   
ゾイラ・フラウスト VS 藤井惠

田岡俊次(田岡元帥)が日中関係を語る(10.24「愛川欽也パックインジャーナル」)

以下紹介文再録(誤記修整)

愛川欽也パックインジャーナル」はCSの朝日ニュースターで放送されているニュー^ストーク番組です。田岡俊次氏は元帥の異名を取る、元朝日の軍事記者で現在も多くの執筆をAERAなどで行っています。ほぼレギュラーですが、日中対立の時期にちょうどお休みが多く、この日は久々の登場でした。以前から何度も繰り返している持論もありますが、参考までに。対話相手の発言は基本的に略しています

こちらへどうぞ↓
http://togetter.com/li/62723

(11.1追記)靖国合祀取り消し訴訟、那覇地裁判決で過去エントリのプレイバック。

http://www.asahi.com/national/update/1026/SEB201010260010.html#

沖縄戦などで死亡した肉親が無断で靖国神社に合祀(ごうし)されたとして、沖縄県内の遺族が神社と国に合祀取りやめと慰謝料を求めた訴訟で、那覇地裁は26日、遺族の請求を退ける判決を言い渡した。平田直人裁判長は「遺族の信教の自由を妨害する具体的な行為があったとは認められない」とした。遺族は控訴する方針。
・・・(略)・・・
判決では、山口県護国神社への合祀をめぐり遺族が敗訴した1988年の自衛官合祀拒否訴訟の最高裁判決をふまえ、「他者の宗教的行為に不快な感情を持つとしても、法的救済を求めることができるとすれば相手の信教の自由を妨げる」と指摘。靖国神社の「信教の自由」に基づく合祀を尊重する立場を示した。

で、昔のエントリを再利用。非常に使い勝手がいいというか、問題は変わっても普遍的に読めるなあ、と自ブログ自賛。

靖国参拝−−平和を呼ぶ「サイキック・ウォーズ」?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050813#p3
■サイキック・ウォーズ再論(笑)。靖国反対運動で宗教の衝突と、自由と慣習について
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091226#p3

上のエントリーに記したエピソードやトピックの一部は、この朝日新聞記事へのはてブ
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/1026/SEB201010260010.html
や、ホットエントリに入った
■宗教の自由!
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20101026/p1
へのはてブ
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Apeman/20101026/p1
にも引用したです。

あ、そだ。これも応用できるか・・・?

ムハンマド風刺画」「コーラン焼却」騒動(の解決策)に通じるとした「エスパー魔美メソッド」を
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101011#p4
から展開させて

「あいつはまつった!ぼくはおこった!それでこの一件はおしまい!!」
でいいんジャマイカ
もちろん
「あいつはのろった!ぼくはおこった!それでこの一件はおしまい!!」
も可。


おまけ
ムハンマド風刺漫画問題。あるフィクション
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060209#p2


==【ここから下が、11月1日に書いた追記です】==

頂いたTBに対してのご返事

■誰が靖国に英霊を公表したのか
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20101101/1288584688
というエントリでご意見を頂きました。有り難うございます。


ご意見のひとつは

父を批判された魔美が怒って抗議し、「天ばつ」をくだしたという背景がある。父が語る言葉は、魔美の思い込みを意図せず批判するという意味も物語上ある。比べて考えると、靖国神社の場合は英霊が遺族に「おしまい!!」と宣言できるわけがない。それともgryphon氏は英霊の代弁者として遺族に「おしまい!!」と宣言しているというのだろうか。

これに対しては、私は『”当事者の父が”怒りつつ相手の行動を認めたのだから、それで魔美は怒りや抗議の根拠を失った』とは考えてませんでした。父の言葉はそれ自体が圧倒的な正論であり、だれが言おうが納得させる力があると感じたから魔美も納得した−という展開だと個人的には思っていますし、それゆえここで引用した次第です。物語中でもパパの当事者性はよく言ってもダメ押し程度かと。
もし引用されたコマの主張が「当事者性が背後にないと説得力が無くなる」という程度のものなら、多くのブロガーが「父」と無関係な各種の問題でこれを引用しなかっただろうし、できないと思います。



もう一点。

「公表された作品については」という前提がある。比べて考えると、靖国神社の場合は遺族や英霊本人が能動的に公表したとはいえない。むしろ国の情報提供も裁判で訴えられ、判決でも「国の情報提供は合祀に一定の役割を果たした」と認められている。

作者藤子・F・不二雄氏が亡くなった今、小さな文言の真意というのも正しい解釈は確定しにくいかもしれませんが、敢えてそういう部分で言うなら「作者が(能動的に)公表した」ではなく「公表された」ですよね。
富田メモは本人は非公表・廃棄を希望し、遺族が了承したとか、ヘンリー・ダーガーは自らの作品の公表を望んでいたのかとか色々ありますが、ダーガー本人が作品を公表しなかったからといって死後、家主によってその作品が公開「されてしまった」(…と敢えて表記しましょう)今、あの作品は好きだ嫌いだという批評は妨げられませんよね。
 
芸術作品以外の歴史的・現実的な出来事や事件、事故そして戦争における戦死はさらに、それ以上によくも悪くも開かれています。
「Aさんがある戦争で戦死した」という事実がある場合、それは世の中にさまざまな経路で知られていくと思います。行政的な手続きでもそうでしょうし、新聞雑誌の報道でも、隣近所の噂や葬式という事実などもあるでしょう。例えば戦地に送り込んだ側〜戦犯裁判で死刑となったA級戦犯も、「何某は○月○日、絞首刑となった」という事実、情報はよくも悪くも本人・遺族の意志を超えて共有されるものだと思います。
 
現在の事件・事故でも「ある人物が、その事故で亡くなった」との情報を遺族がコントロールしたいと考える一方で、いやそういうわけにはいかないよ−−と別の側が主張するという軋轢がまま発生します。
( http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no111.htm )
各種のノンフィクションも「その当人・遺族が(能動的に)公表した」ことだけをもとに出来事を描写するという枠をはめると、かなりその内容はやせ細るのではないでしょうか。
 
 
他の事例にあてはめるのは冷静な評価をしやすくする半面、何が何に対応しているのか分かりづらくなるかも知れないので一応整理を。
 
「Aさんが戦地で戦死した」という事実がある(これが「公表された作品」に相当)。それに対して靖国神社が「そうやって亡くなったAさんは英霊であると、我々はみなします」とする(これが「批評」に相当)。
 
念のために言いますがその英霊という定義に対して「そんなのは偶像崇拝。まことの神は1つ」「私の父が英霊であるはずが無い」「人は死ねばゴミになる」と遺族は反発もできる(ぼくはおこった!に相当)。

で、「作品の公表」に相当する部分で、

遺族にも、情報を提供しない選択をするような「自由」

これは今現在なら、あるいはもう少し進めばありえるかも知れません。
上のリンクの話、「大型フェリ−の沈没の犠牲者」「脱線事故の犠牲者」もそうだし、あるいは卑近なところで言えば「東大合格者」「早大合格者」の氏名の扱いが時代につれてどんどん変わっていった、そういう中の話だと思っています。もう実際、現在はああいう形で神社に情報が伝わることも無いでしょう。
かつて東大合格者がざまざまな雑誌に、本人の意志に関係なく載っていたのも、当時の受験生がおそろしい人権侵害をされていた、というよりはやはり時代が変わったのではないでしょうか。
(そういえば沖縄「平和の礎」作成の時はどうやったのだろう…)
 
小室直樹氏が亡くなったという情報が、実際の死や噂の発生からだいぶ後で新聞などに流れたときに、ニュースに私はこうブックマークしました。

gryphon こういう有名人は死去の噂が流れたら、独自に報道機関が追うものと思っていたが、追う気は無かったのか追っても確認できなかったか。 どっちにしても、遺族が隠したいなら隠せる社会というのは悪くない。

ただし、この「悪くない」とは多分にロマン的なものであり、だから「当然だ」とか「隠したいなら隠し通せるべきだ」と断言しなかった。
 
いま現在でも、「ある人の死」という情報を遺族が管理できる範囲というのは無制限ではないし、その一方で皆無でもない。この点については世につれ人につれ、でいいと思います。
 
 
しかしその一方で、これは念押しですが、もしこの後の日本社会が、例えば飛行機事故などによる「ある人の死」を完全に非公表にできる仕組みが整ったとしても・・・。
 
何かの拍子でそれを知ったクニヤス神社が「おお、事故で亡くなった御霊は鎮めなければいけない。私たちはそれを、この地に眠る神とみなします」と祝詞を挙げても、「世界督基教分裂神霊協会」が「ああ、このような悲劇に見舞われた方は聖なる魂となっています。文曖昧お父様がそう言われました」と祈ろうと、総花学会が(面倒くさいので略)と言っても、「勝手にそういう」自由は守るし、守るべきだと思います。
遺族など当事者を含め、信じない人は ただ「あほかいな」「意味無いわ」と思えばいいわけで。もちろん高金氏のように「私の術と儀式で、魂は貴方たちには渡さず持ち帰ります!」とやってもいい。
 
だってさ、(このギャグも繰り返しになりますが)実際にあっちに行ってみたら「あ!○○教の言ってたことは真実だった!」っていう可能性は完全否定できないんですから(笑)。 「証明不可能・相互無視」で。

【有名小話】ある精神病院にて
「俺はナポレオンだ」
「そんなこと、誰が決めた」
「神様が決めた」
「俺はそんなこと、決めた覚えは無い」


ちなみに、最後に魔美ネタに戻りますが、パパの「それがいやならだれにもみせないことだ」というのは、<非公表の作品は批評拒否権を持ち、それを勝手に批評するのは悪である>という意味ではなく、「そうすれば物理的に、他人は批評したくても不可能になるよ」という意味だと解釈しています。

【追記・重要】これを自分はのちに「見なしの自由」という言葉で整理しました。この記事から直接つながるので是非お読みください。

■宗教における「見なしの自由」を擁護する…彼の為でなく、我が為でもなく。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p3

よかったら、このエントリをはじめ、日記内を「見なしの自由」で検索してみてください

森恒二が「テロ」を描く「デストロイ アンド レボリューション」連載開始。厨2病の三冠王達成(笑)?

http://natalie.mu/comic/news/39374

週刊ヤングジャンプ47号(集英社)にて、「ホーリーランド」「自殺島」などで知られる森恒二の新連載「デストロイアンドレボリューション」がスタートした。
デストロイ アンド レボリューション」はふたりの少年が“ある力”を使い、建設中のマンションを破壊するところから始まるSFストーリー・・・・・・

まず、「この人、ヤングアニマル専属じゃなかったの?」というところに一番驚いた。まぁXXXXXと同じで、トップ選手といっても待遇がそこ専属と縛ることができるほどいいわけではないのだろうな。離脱されないだけで御の字で、ギャラもいい大舞台に立つ事を止めるわけにはいかないのだろう。

んで、第一回を読んだ。
細部を忘れただけかもしれないけど、この作品は地に足が着いた(リアルな、現実的な破壊手段の)テロリズムを描写していくのかなーと思ったら、主お買い記事や雑誌公式では「SF」と書いてあるから、今後のテロ(の手段)は超能力など、現実的でないものになるのかもしれない。
まあ、リアルなテロの手口を大手メディアの出版物で描写できるかも微妙だし、そこはSF的設定で描く方が色々都合がいいのかもね。
ただ・・・心の不安定な青春時代の鬱屈した若者が「とにかくこの日常を、この現実を破壊したい!」という形でのテロ志向を持つ・・・という心理の動きは、手段の描写がたとえSFであっても、とことんまでリアルに描けるかもしれないし、下手したら影響される子もいないとは限らない。だから規制しろとはまったく思わないが、なんとなくそっちにも注意しながら読んでいきたいと思う。
しかし

ホーリーランド (1) (Jets comics (846))

ホーリーランド (1) (Jets comics (846))

で「格闘技(しかも街中のストリートファイト)」、
 
自殺島 1―サバイバル極限ドラマ (ジェッツコミックス)

自殺島 1―サバイバル極限ドラマ (ジェッツコミックス)

で「無人島でのサバイバル、ハンティング」、
 
そして今回の
http://yj.shueisha.co.jp/info/new_serial/

で「テロリズム
・・・・・・って、もっのすげー「厨二受け」or「高一受け」するんじゃないか?学校の1クラスって、突発的に持ち込まれた漫画が大ブームを起こしたりするけど、一度実験的に中2のクラスに「ホーリーランド」と「自殺島」を持ち込んで反応を見てみたいわ。
その記録を
「よいこの森恒二」と題してドキュメントにする(笑)
「あの時は、ホーリーランド自殺島という、たかが2つの漫画が・・・あんな悲劇を生むとは、夢にも思わなかったのです……」

その後の「げんしけん」、ふたたび「二代目」で短期連載開始

こっちの連載開始もおどろいたねー。
いや、予告でも見てればよかったのだろうが、気付かなかったな。

月刊 アフタヌーン 2010年 12月号 [雑誌]

月刊 アフタヌーン 2010年 12月号 [雑誌]

内容はほのぼの・・・といえばほのぼの・・・でもないが、まあこの作品世界的にはたいした波乱もなく、お馴染みの面々と新顔が繰りなす世界に心地よく浸れるストーリー。(※ただ、ちょっと深刻に、リアルにひきつけて考えると、性同一性云々の人の、着替えやトイレってどーする?という話って結構シリアスだったり、実際にそういう問題も存在すると聞いたこともある。※ただし、この作品の該当キャラクターのアレが「趣味レベル」の話なのか、それ以上のものかは描写されてない、ので深入りするわけにはいかない

聞くところによれば作者は女性で(と聞いたが違うみたい?調査中)、今小さい子の子育て真っ最中らしい。それなら過去の大ヒットした自作の「その後」を、ちょこちょこと不定期に、短期に描いていくというスタイルはちょうどぴったりかもしれない。
もっとも、彼(女?)が楽しく、うれしく続編を描いているのか、それとももう飽きて他の作品を描きたかったがそっちの人気があまり出ず、出版社や読者から「読みたいのはあの人気シリーズの続編なんです!」と言われしぶしぶ描いているコナン・ドイル状態・・・なのかもしれない。この回を読む限りはその可能性は薄いと思うけど、作者にも読者にも、幸せな続編であることを願う。

twitterショートショート。なぜ下村健一は、自ら”権力の犬”となったのか?その真実…

http://twitter.com/#!/gryphonjapan/status/28893547698

内閣審議官となった下村健一 @ken1shimomura 氏、
「広報に携わる者として、尖閣漁船衝突の完全映像を見る必要があります。データをお借りします」
・・・そして翌日、なぜかyoutubeにどこからか映像流出。結果的に市民への情報公開が実現・・・という、これはSF小説(笑)

うん、やはり140字は足りないな! はじめに「お前は政府のイヌになりさがった!」となじる仲間とか、こっそりデータを持ち出すサスペンスとか、公海後の首相や官房長官のパニックとか、いろいろ描写は膨らむのに(笑)。

尖閣問題がらみで紹介。日本近海での半民半軍の武力衝突を予言した「48億の妄想」から”K作戦マーチ”

上の「海」「武力衝突」というテーマと、そして自分で書いた「SF」という文字で自動的に連想機能が働いた(笑)


下の引用、検索しても見つからないので、ネット上の資料として書いておこうかなと。
この前、自分の本棚に古典SFがどれぐらいあるか、まあ虫干し的に整理しておりましたらね、筒井康隆の処女長編

48億の妄想 (文春文庫)

48億の妄想 (文春文庫)

を見つけました。まだ絶版じゃないよね?
 
これはもう内容を紹介するまでもないけど、ジョージ・オーウェル1984年」をさらに一段すすめて、さらに皮肉なパロディ化をした作品。
つまり、日本の国中に監視カメラが取り付けられ、プライバシーも何も筒ぬけな社会ではあるのだが、それに皆が順応し、テレビを意識して24時間演技し、ステロタイプな物語をつむいでいる・・・という話。
 
この作品の衝撃のおかげで?日本SFには「擬似イベントもの」というジャンルが定着。わたしの最近いう「情報・物語の自己肥大・暴走もの」というのはその定義をちょっと修整したものにすぎなかったする。


・・・ま、それは余談ですわ。
で、くだくだしい途中の話は省くけど、そういうメディアと一般市民が共同で自己演出した擬似イベント、その最大級の企画として、韓国(当時はいわゆる「李ライン」が問題だった)との海上での小競り合いをテレビ中継しよう!日本からは憲法上、軍隊はまずいから、名目は漁船の武装船を送り込もう!ということになった。文鮮明、いや作戦名(小ネタ)は「K作戦」。
海戦のKであり、韓国のKだともいう

テレビ局主導で選抜した、戦隊ものや傭兵部隊ものよろしく体形や個性、前歴までわざとらしい個性が集まったチームが乗り込んでいくのだが・・・
そのとき筒井康隆が”作詞”した擬似軍歌がけっこう笑える。
もともと軍歌や革命歌のスタイルは一定の型があるからパロディやパスティッシュをつくりたいのかもしれないな。

以下「K作戦マーチ」。

「K作戦マーチ」
1:
平和の理念 踏みにじる
不法不当の 境界線
李ライン越えて われら行く
今ぞ正義を 守るとき
(※コーラス)
トラ・ララ・ト・ララ  トラ・ララ・ト・ララ
漁船火を吐く ああK作戦
 
2:
公海自由の 原則を
無視するやから 何ものぞ
手当たり次第の 銃撃に
怒れる我ら 今ぞ立つ
(※コーラス)
トラ・ララ・ト・ララ  トラ・ララ・ト・ララ
漁船火を吐く ああK作戦
 
3:
済州島の 沖合に
我が同胞の 苦難あり
漁業協定 何のその
我ら自衛の 義勇軍
(※コーラス)
トラ・ララ・ト・ララ  トラ・ララ・ト・ララ
漁船火を吐く ああK作戦

だからどうって話じゃなくて、詩が面白いんで紹介した。
というか、単純な面白さというよりは、批評性のあるパロディとしての完成度が高い。
公海自由の原則をうんぬんつったら、中国側がこれ歌うというシチュエーションのほうがぴったりくるかもしれんしね。
しかし、途中の紹介文の文章が無意識の自動筆記で長くなるな。かつて植えつけられた旧SFマインドはおそろしい、我ながら(笑)。

「ゆうきまさみ年代記」という本が出るそうな

http://twitter.com/#!/masyuuki/status/28600884383

@masyuuki ゆうき まさみ

質問が多いのでなるべく正直に。11月30日発売予定の「ゆうきまさみ年代記」ですが、基本的には小学館系で発表した作品や対談を中心とした、著者選による再録集という形になります。それだけだと申し訳ないので、描き下ろし16Pの漫画が収録されるのですが、いまこれのネームを必死でやってます。

ゆうきまさみ年代記 (少年サンデーコミックススペシャル)

ゆうきまさみ年代記 (少年サンデーコミックススペシャル)

約1カ月後の新刊情報が、それも作者直々の告知として、こうやって手に入る時代になったんだなあ。