INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

選手が自然に「俺はバンタム・彼はフェザー」とか言い出した。段階分離…は結構いいかも

旧聞に属するけど、DREAMの一夜明け会見は面白かった
http://www.dreamofficial.com/free/news/detail.php?id=1275203323
■ササヤン

昨年DREAMフェザー級GPを行うに当たり、61キロ、65キロの両方の選手が出られるということでDREAMフェザー級を63キロ規定にしました。今でこそ選手の顔とキャラクターが浸透してきていますが、当時はまだまだ分からないという方も多かったと思います。ですから、まずは DREAMの軽量級を磨いていこうという狙いがありました。軽量級という存在が浸透していくにつれてそういう声(61と65に分けたほうがいいという意見)が出てくるのも思っていたとおりで、私もゆくゆくは分けたほうがいいと思っています。当面、ワンマッチはキャッチウェイトで行っていてタイトルマッチは63で行って、あとはどこのタイミングで階級を分けるかという。その時期だけだと思います

大沢ケンジ

(今後のDREAMでの希望は?)高谷君と同じ階級なんですけど、(高谷と)練習していて同じ階級に思えないので(笑)、できれば60キロか61キロ、 65キロに分けてもらって、その中で誰が強いのかチャンピオンを決めるという、そういう動きになっていければなと思っています。(この階級では高谷選手が抜けた感じになっていますが、そのことについては?)基本的に僕が高谷君と同じ括りにいるとあまり思っていないので、別の階級というか、そんな感じなので、好きにしてくれという感じです(笑)。(KID選手の存在については、どう感じていますか?)サイズ的に一緒くらいなので、やる可能性もあると思うので、すごい意識し…

(こっちは試合直後の会見)

最高ですね。いや、前田くんは凄い強いと思っていたし、昔からやることになりそうだなと思っていて。前田くんは60kg とか61kgの選手と思っていて、高谷くんとかこの前の選手も自分の階級じゃない選手に負けたと思っていたんで、61のトップに勝てて良かったです。(略)60か61でやれる選手とやりたいですね。コツコツと60か61の階級を作ってくれって訴えていきます。

高谷裕之

(DREAMフェザー級63キロを61キロと65キロに分けてほしいという意見が出ているのですが、それについては?)65になったほうがありがたいです。

■ウィッキー

分けてほしいと思います。65のほうがいいです。63だと減量がキツイので。

山本KID徳郁

今回、60kgでやらせてもらって、自分にとってベストだったんで。この階級ができるなら、ベルトはもちろん。でも、それよりも勝つことですね。勝って、みんな喜ばしたい(略)元々が58kgでレスリングもやっていたので、学生の頃は。一回、60kgでレスリングに出て、60kgぐらいが調子いいなと思って。今回60kgでカードを作ってもらって、これだったら凄くいいなと。ちょい長く続けられるなと。

キャッチウェイトといきなり言い出したときはうまく調整がつかない言い訳?とか思ったのだが、あんがいこういう風な意識を主要選手が持っているなら、存外いい感じでできるんじゃないか。

大沢ケンジは自分が勝った相手を大きく見せようってのもあるだろうけど「前田吉朗は61kgのトップ選手。自分以外の負けは上の階級との試合のようなもの」と、こういう定義というのは事実はどうかはさておき、定義することでリセットできるわけで面白い。山本KIDも十分「今までの負けは階級が上の選手に」というやり方でのリセットが出来るな。

バンタム級だ」という再定義をするなら、所英男vs前田吉朗でDEEPを満員にできるんじゃない?

今回ウィッキー西浦が「フィジカルで相手を圧倒できた」と言ってるぐらいだし、所英男もその「新階級リセット」に乗れそうな。どっちもD.14の敗北で後戻りしたんなら、そういうのもいいんじゃないかなと。
でも所英男はDEEPとつながりってないか。テイストも合わないっぽいし(笑)。
やるとしたらDREAMの第1試合かしらね。
まあ個人的に見たい、というだけです。

本日UFC「ミルコ・リデル負けたら即引退!スペシャル」

だったわな。
失礼なタイトルになっちゃったが、リデルはダナが明言、ミルコは本人がそう言っている。
http://www.wowow.co.jp/sports/ufc/index.html
リデルは「カリスマ、その国のMMAの象徴」「今は連戦のダメージで往年の力は無い」「でも本人はやる気」と、桜庭和志の姿にダブるんじゃないか、という思いもあるのだが。

「はやぶさ」帰還。砂を持ち帰ろうが、持ち帰られなかろうが。

お帰りなさいでした。
再度、帰還記念に自作したへっぽこ動画(?)を紹介。

その原作(?)

栄光なき天才たち 宇宙を夢みた人々 (講談社漫画文庫)

栄光なき天才たち 宇宙を夢みた人々 (講談社漫画文庫)

学ぶということ、について(吉田松陰の話)

本当は今日の日記、上の格闘技話に続いていくつか時事問題などを用意していたのですが、急な仕事が入りこうやって書くのが午後以降となったのでそのへんは後回しにしようと思う。
代わりに、いま部屋の整理をしようと思いつつぱらぱらとめくった本から紹介をば。

現在連載中のみなもと太郎風雲児たち」は、安政の大獄でいよいよ吉田松陰がその29歳の歴史を終えようという段階に入った。
この安政の大獄で罪に問われる前、吉田はペリーの黒船に乗り込み、アメリカ密航を企てた罪でも幕府に裁かれている。
この密航未遂にまつわる話は、ペリー側も記録していて、「身分卑しからぬ若き貴族が、わが艦隊に乗ってアメリカへ行きたかった話」が吉田や幕府の記録と同時進行で残っているから面白い。
と同時に、この時期の日本ではそういう歴史上の大人物や大事件に遭遇した、まったく無名の人物がひとつ話のようにみなに思い出を語ったり、日記を残したりしている。
そんな挿話がたくさんあるから日本史、とくに幕末史は面白いのだが。

そんな中、司馬遼太郎はこういう話を紹介する。

ところで、松陰は下田の平滑の檻に入れられている。
(略)この時代の日本人の面白さは、この下田の田舎の番人にすら読書家がいることであった。(略)
かれは維新後、「あんな代わった人間は見たことがない」と松陰のことを土地のものに語ったりしたが、かれはこのときの書生が、後世名の高くなった吉田松陰であったことは維新後しばらく気付かずにいたらしい。


「大体が、あの人はすすんで罪人になった」
と、いう。
最初、松陰が、柿崎の庄屋の下に自首して出たとき、庄屋は迷惑がって、それとなく逃がそうとした。ところが松陰は、罪は罪である、男児は罪を犯してにげかくれするようなことがあってはならない、と庄屋に迫り、奉行所につれて行かせたという。
(略)
「私は志を立てて以来、万死を覚悟することをもって自分の思念と行動の分としております。いま死をおそれては私の半生は無にひとしくなります」
まことに奇妙人と言うほかない。


取調べのないときは、鶏小屋のような檻にいる。畳一畳のせまいなかで金子重之助(※一緒に密航を企てた人物。のちに獄死)と向かい合っている。
そのあいだ、番卒や見物人やらを相手に、国家の危機を大声で説いて倦まず、ついにはこの書生の態度をみて、事情がわからぬままに尊敬する者が出てきた。番人の金太郎もそのうちのひとりである。


「何か、書物はありませんか」
と松陰はある日、金太郎に乞うた。
金太郎は(略)3種類の書物を持ってきた。


(略)「金子君、きょうの読書こそ真の学問である」
と、ひどくあかるい声でいった。
「君は漢の夏侯勝と黄覇の故事を知っているか」
(略)
夏侯勝は漢の武帝につかえたたいそうえらい学者であったが、あるとき罪におとされて獄に下った。黄覇もその獄の仲間であった。
黄覇は獄中で学者の夏侯勝にたのみ、自分はいままで無学ですごしてきたが、この機会に学問をしたい、ぜひさずけてほしい、という。夏侯勝はおどろき「どうせ刑死する身に学問は要らぬではないか」というと、黄覇は「それはちがうでしょう、孔夫子のお言葉に朝に道を聞いて夕に死すとも可なり、ということがあります」といった。


「それと同じだ。われわれは遠からず死罪になる。今の読書こそ功利を排した真の学問である」
(略)
その様子を檻の外で見ていて、番人の金太郎は、いよいよこれは奇妙人であるとおもった。
(「世に棲む日々」2巻)

この挿話は吉田本人も自著で回想しているそうだが、司馬はわざわざこの番人を「平滑ノ金太郎と呼ばれ、明治以降は山下姓を名乗りまた別天と号して奥術の柔術を生かした接骨医を営んだ。そして鼻の穴が、親指が楽に入るほど大きかった
と書いている。

ここまで描写して実在の人物じゃなかったらそれはそれであっぱれなんだが。だが実在したとしても、たまたま番人をしていただけで鼻の穴の大きさまで後世のわれわれが知ることになるのはちと気の毒だね(笑)。
いや、こういう人が名前を連ねるのが逆に歴史研究の醍醐味なのか。

松陰の最後を、「風雲児たち」で見届けよ。

何度か連載中のこれを取り上げたとき、みなもと太郎吉田松陰を「聖なる愚か者」として描いている・・・
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091210#p2
と書きましたが、もうひとつ表現を変えると、松下村塾を率いた教育者としての松陰はとっても「Rookies」の教師、野球部の監督さんに近い気がするね。

いやルーキーズ、映画はヒットしたもののこの前の「日本映画空振り三振」でさんざんな言われようだったが、原作は立派なもんですよ。「敵チームの描写がない」という映画の批判、原作は完全に免れているし。それと重ね合わせて司馬の本やみなもと漫画を読むもいいか。

そんな歴史小説の紹介後、今度は「天地明察」の参考文献を書いた人が史実と小説の異同を指摘

ここが違うよ『天地明察』:参考文献の著者から

http://ameblo.jp/satokenichilab/entry-10559293746.html

学術書の見解と相反する内容が歴史小説に提示されていたとすると、多くの読者はそのことを「史実」として認知してしまうかもしれないし、そこに挙げられている参考文献には「小説と同じ内容が記されているに違いない」と誤解してしまうかもしれない。

徳川家康坂本龍馬のように、歴史上の有名人が題材になるならば、恐らくそのようなことは起きないだろう。歴史ファンの目が肥えているので、もしとんでもないことを小説家が書いてしまえば、色んなツッコミが殺到するだろう。逆に、アッと言わせるようなフィクションが読者を魅了することもある。それは誰もが知っている史実を思いもかけない形でひっくり返してみせる小説家の手腕によるのだろう。

しかし、『天地明察』が扱っているような、これまでほとんど脚光を浴びることの無かった分野の歴史小説はどうだろう?(略)
あまり知られていない分野を小説の題材とし、しかもそのフィクション部分が爆発的に普及してしまうと、その懸念は一層大きくなる。

天地明察

天地明察

これは小説への批判には必ずしもならない。
同時に、なくてはならないものだと思う。

天地明察』は、筋書きのために都合の良い部分だけを抜き出して拙著を参照していることは明らかである。「それこそが小説のフィクション構築の基礎作業だ」という弁明もあるかもしれないが、参照された側としては、ある意味では自説と全く反対のことを一般読者に向かって披露されたわけだから、釈然としない。これがすなわち・・・

これはなぁ・・・コプーとドルゲ、トムとジェリー青木真也川尻達也、大家と店子が永遠にあい争うように、ある意味必然の対立なんじゃないのかなぁ。

■歴史家「A説もある。B説もある。後日の解明を待ちたい」
歴史小説家「あいつがAをしてたら、そこにライバルとヒロインを絡ませて話を進めるんだけどな・・・A説の資料、A説の資料・・・おお!この本に、A説ってあったよ!!」
あるあるある(笑)。
山ほどある。
これはもう、逃れられない必然と運命。


海音寺潮五郎だったと思うが

平将門藤原純友が会ったという記録はない。
だが、会ってないという記録もない

と言い放ったそうである(笑)
つまり冲方丁は、一人前の歴史小説家になったということだ(笑)。

あとは古女房のSFに、いつ離婚届をつきつけるかだな。

ちなみに今回のエントリー「佐藤賢一が、冲方丁を批判!!」というタイトルで釣りたいという欲望に最後まで苦労した(笑)。
傭兵ピエールvsサイボーグ・バロットもし闘わば。

本日「龍馬伝」前のNHK(PM7:30)「街を歩くペンギン」登場!!

しますよ。再度告知
ダーウィンが来た!」
ヒゲじいのブログ
http://www.nhk.or.jp/darwin-blog/50560.html

次回は「町をペタペタ!子育てペンギン」

次回の「ダーウィンが来た!」では、
町の中で子育てするペンギンの物語です。
これが、そのペンギンで〜す! kppengin1.png

どうです!? かわいいでしょう? 
今回はあるペンギン夫婦に密着。
旦那さんのホープ君。
奥さんのケープちゃん。
2羽の名前は、近くにある喜望峰 Cape of Good Hopeから名付けました。

シーゴラスとシーモンスのようなものか