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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

シュルトのGP王座奪還を、K-1ファンの7%(ネット統計)と共に祝おう。そして藤原紀香問題。

まあバダ・ハリもがんばったと思います、うん。
勝って驕らず、謙虚たれ。
実際、トーナメントの組み合わせはありがたいものだった。といってもゴールデン・グローリーが半分を占める状況では、自ずからこうならざるを得ない部分もあるのですけどね。
ちょっと一番早い時期と比べて、スピードが落ちているような気もしたのだけど、コーナーに詰めてからよく見て打つというのを選択しただけかも。

来年はスーパーヘビー級の防衛戦をどんどんやっていってほしい。
相手は・・・いるのか? セーム・シュルトと闘える挑戦者。

勝利後の談話から

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/live/2009/2009120501/13.html

「周りから価値のないチャンピオンみたいに言われていたので、あらためて自分の価値を証明できたと思っています。」


「評判などで精神的なダメージを受けたくなった(ママ。「なかった」の間違い?)ので、トレーニング中は一切インターネットに関わらず、外からの情報も遮断してトレーニングしてきました。」

藤原ノリカ、聞いているか。


バダ・ハリ ぶんぶん丸

バダ・ハリはいうまでもなくお見事で大活躍だったのだが、なんかあまりにも「やるかやられるか」の大振りだったように見えるのは気のせい?ああいうスタイルなら確率論じゃないけど3試合のうち2試合1RKO勝ち、1試合KO負けになっても不思議じゃない気がする。
今年5月のシュルトからの勝利で、味をしめたんだろうか。
ハリのほうがヘビー級をめぐる戦いの相手があるだろうから、その中で見ていくしかないか。

藤原紀香さんの今後のK-1における扱いについて。

もう、これの応用でいいんじゃないでしょうか?

政権交代」「K-1に新時代到来」がテーマだったわけだし、ジェロム・レ・バンナが去っていくのと合わせて・・・というのがいさぎよい気がする。あ、ピーター・アーツは踏ん張っているのか。


「そろそろ後進に道をゆずって、他の活動を・・・」というのでは、熊久保英幸氏のDEEP解説なんかもそろそろ、新しい方をね・・・いや解説が悪いとかじゃなくて、あくまで目先を変えるというか、新しいものにチャレンジしていただくというあれで・・・

そして本日はパンクラスも最終戦(ディファ有明)


あのなあ、最終戦ってのは今年の最終戦ってことだぞお前ら。(だれに対して言っているんだ)
来年は、パッションツアー。
そういや、今年は案を実際には送ってなかったな。
「スーパーウルトラミラクルツアー」っていう、かこいいタイトルを考えていたのだが、2011年用に投稿しよう

まあそれはともかく。

http://blog.livedoor.jp/pancrasenews/
バンナも引退を考えるなら、伊藤崇文の試合を見てからにしたほうがいい。


http://d.hatena.ne.jp/lutalivre/
にて会場からネット速報が行われる予定。

BS-デジタルで浅草キッドと上杉隆が鼎談

メール情報だ

本日12月6日(日)午後4時−4時54分、BSデジタル6チャンネルのBS−TBSで「浅草キッド時事魂!」が放送。

浅草キッドの2人とジャーナリスト上杉隆が、3カ月に1回、ニュースを振り返りながら時事ネタを斬っていく番組。

今回が3回目。
テーマは「国民との約束『脱官僚』はどうなった?」と「地球温暖化をめぐる日本の外交戦略」。

「ササヤン(DREAMの笹原圭一P)は実は大変な読書家、趣味人」(水道橋博士談)

はかせのtwitterから。
https://twitter.com/shakase
https://twitter.com/shakase/status/6373684040

実は、あの人は超がつくほどのウルトラ趣味人の読書家ですからね。
文章家でもあるので是非、やって欲しいですよね。
@BBE 笹原さんについったーはじめさせてください!
(※twitterでは@に名前をつけると、その人へのメッセージとなる。つまり@BBEさんの「 笹原さんについったーはじめさせてください!」への返信なのです)

つまりは「あの人」とはササヤンこと、DREAMの笹原プロデューサーをさす。


へえ。趣味人・読書人芸人の代表たる水道橋博士がいうとムムッ?と興味をひかれるな。
ササヤンブログは更新が稀だが、趣味人・読書人といえば、菊野克紀がDREAMに登場したとき、西郷隆盛島津藩の歴史になぞらえて書いていて、そういう阿呆なこと(ほめ言葉)をやったのはたぶん彼と、私のブログだけだったよなー。

(10日に追記有)「自転車に鍵」ですよ。同一カテゴリーであるゆえに。その量的な「度合い」は議論可能。

<※下に、追記をしていく方式をとっています>
TBを頂きました。
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20091205/p4
【付記】その一段下も関連エントリでした


これは最近、ようやく使えるようになってきたブックマークについてのTBです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091205/p1

「自転車にかぎと一緒にするのか」と言われますが
当然、実際にさまざまな犯罪で、大きな被害に遭われた方の個別の苦しみは、そもそもどこまで行ってもそれぞれに個別のもの、であり、他のどれとも比較にはならないでしょう。その点を強調した上で、なお
1・犯罪被害の問題

2−A:犯罪被害をふせぐ行動の推奨 −B:または犯罪被害に遭い易い行動をいさめる主張 (AとBはまた別ものです)

の関係を論じるうえで、「自転車の鍵」は十分同一範疇であると考えます。


実際に自転車に乗っているとわかるのですが、降りるたびに鍵をがしゃこんとやって、その鍵を持ち歩いていくというのは相当に面倒なのです。
さらには「やっぱり人通りの少ないところに追いとくのは・・・」
「旅先で泊まるから、駅の駐輪場に2日間放置するのは不安だな」
という、自転車窃盗の犯罪をこちらが予想することにより、本来やりたい行動を制限されることも多い。わたしの自由は、権利は・・・どこかにいるかもしれないし、いないかもしれない潜在的な窃盗者予備軍?によって制限されていたのだ。駅にバスやタクシーで行かざるをえないことも。

これを「あんたの「自由」はどれほど制約されるってんだ」「たかだか自転車に鍵・・・」というなかれ。いちいち上のようなことを気にしたくねーよ、こんな心配や警戒はメンドーだよ、というのが何と比べると小さいか大きいか。誰が判断するのか。なかなか難しい問題です。
自転車が盗まれたときのショックだって、思い入れの深さや年齢によって変わってくるだろう。
人生が変わるほどの大ショックや社会・人間不信に陥る人もいるかも。



逆に、慣れてくると面倒くささが高じて「ほんの数分の買い物だから」と、かぎをせずに駐輪することもままありました。


で、かぎをしないで駐輪し盗まれた場合、
「(X)私は被害者であり、責任はない。 盗んだ犯人が悪いのであり、本来は鍵をかけなくてもだれもが自転車を盗まないのが当然なのである。
『鍵をきちんとかけないといけない』というのは被害者をさらに苦しめる『セカンド窃盗』ではないか!!」
と主張するなら、それはそれで極端であろう、というのがわたしの考えであります。
あ、話はさらに進んで、はてな村では「かぎをかけろというなら、俺の自転車の半径10mに近づくやつは全員有無をいわせずぶん殴っていいんだな?だれもが盗むかもしれないってことなんだから。それはよくないというなら、鍵をかけろとも言うな。そういう比喩だよ」というふうに議論が発展してるか。
ついでに言うと
「人間、だれもがみな、労せずして貴重品を手に入れたいという欲望はある。みんな、潜在的な泥棒なんだよ(だから鍵はちゃんとね)」
という議論の是非もあるか。


ただ、リンク先の本文・コメント欄から推測するに、これらは見てみると
「程度の問題」に収斂される話ではあります。

「自転車に鍵」程度のはなしなのか!

「泥棒に入られたくなければオートロック、門番付きのマンションに住め」とか「セコムしてますか?」とか言われたらどう思うのか、
「通り魔に殺されたくなければ防弾チョッキ着ていろ」とか言われたらどう思うのか。

ここでは上の、フィクション(仮定)として書いた(X)論、「本来は鍵をかけなくても自転車は盗まれるべきではなく、無施錠の批判はセカンド窃盗・・・」的な主張は採用されないようです。

上の自転車に関する議論は、不愉快に感じられたかたもおられれば心情的にはまことに申し訳ないのですが、下のことを確認できたという点では価値がありましょう。
上に挙げた<1と2>の関係についての共通認識

「犯罪被害をふせぐためにはXXXXを避けるべきだ、XXXしよう」
という主張は、<とりあえず それ自体が問題ではない >・・・・ここ重要です


とすると、あとは
「程度の問題」です。

「自転車の鍵程度」の問題なら、リンク先の文章から類推するに、「自転車を盗まれるリスクを減らすためには、面倒でも鍵をしなさい」という議論はなりたつ。これは推理だが「その自転車泥棒がとうぜん一番悪いんだけど、あなたも5分程度の買い物だからって鍵をしないでいたのは良くなかったね」てな議論も、けしからん偏見に満ちた暴論だとは言われないのではないか。

で、わたしも「通り魔に殺されたくなければ防弾チョッキ着ていろ」というのは極論だと思います。
議論の枠組みが同じであることは認めます。その中で、「程度問題として、そこまですることはないでしょう」という判断として、ですが。
オートロックについては「用心のためにそれをするのもアリですね。それゆえの不便もあるでしょうが、安全を優先してそういうことを訴える人がいるのも主張として認めます」かな。



それでは『「犯罪被害をふせぐためにはXXXXを避けるべきだ、XXXしよう」という議論それ自体は成り立つが、程度を超えると極論になる』という前提をみんなで共有した上で、それは行き過ぎ、いや常識の範囲だという議論をしようじゃありませんか。夜道も服装も鍵も、セコムも防弾チョッキも含めて。

何を当たり前の、というなかれ。
けっこうみんな、上の太字部分をスルーしてたと思いますよ。それに議論の質がまるで違うのではなく、おそらくは「程度の水準」について合意がないという話なのですから。


逆にTB先の筆者にうかがいたいのですが
「XX(犯罪被害)を防ぐためにはXXをすべきだ」「XXXをしなかったのは被害者に過失があるともいえる」という議論が認められる犯罪被害には何があると考えますか?
自転車窃盗と施錠に関しては合意したとして、それ以外では。

【追記(たぶん7日)】

http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20091207/p1
でも再論とTBを頂いております。
興味深かったのは

自分は24時間デフコン1で生きてるつもりか?

というくだり。私は上に書いたとおり、無施錠買い物だってやっているぐらいで、油断と隙だらけの日々です。

「自分は毎日デフコン1で生きているのか?」
というのは、自転車の施錠無施錠や窃盗の問題などとまさに「同一カテゴリー」です。
そしてまさに「程度の問題」です。

なるほど、やはり程度の問題に収斂されていくんだよな・・・という感をさらに強くしました。


被害の深刻さでいえば

記憶で語るので申し訳ないが、数年前、突発的な単独犯によるハイジャック事件があったとき、「きちんと手荷物検査や搭乗手続き体制を充実させていれば防げたはずだ。空港・航空関係者の責任も大きい」というふうにそちらに反省を促す議論もたしかにあったと思う(あったよね?)。
「彼らはハイジャック犯に被害を受けた被害者じゃないか! 本来はだれもがハイジャックをしないでいるべきだし、ハイジャック犯がいない社会をつくるべきなのに、なぜ検査やチェックが不十分だと被害者側を批判するんだ」という弁護はなかった・・・ような気がする。


個人じゃなく組織の批判ならいいんだ、とか
三者の安全を確保する責任に限定しての批判だ、とか
これを特別扱いするレトリックとロジックはいくつか
考え付かないでもないが、皆さんはいかがでしょうか。


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【追記(たぶん7日)】以前書いたエントリや資料集

一番上と一番下は、特にダイレクトに話題と直結した話。


日刊ゲンダイ「結婚詐欺事件、女も悪いが男がツクヅクバカだ」・・・<被害者にも落ち度>論の資料
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091110#p4

■痴漢犯罪・基本の基本。そも冤罪か迷宮入りかなのだ構造的に。じゃあ対策は?

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090422#p6

■性犯罪の「二次被害」(セカンドレイプ)は、近代裁判においては不可避なのでは?という疑念(+ゲーム規制論)

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090610#p8

■「植草被告の逮捕は国策捜査だ」というのは”セカンドレイプ”になるのかならないのか

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090624#p4

【8日追記】「空き巣」「強盗」に絡めての防犯・自衛呼び掛けについて

リンク先の7日ページは、TBのひとつ下も派生エントリで、こちらは同じ日でもエントリごとにコメント欄が分かれている形式です。
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20091207/p2
そのコメント欄の中で、ブログ主の返信にこういう記述があります。

文字通りの意味での「鍵かけ」なら、犠牲者非難に結びつきやすい性犯罪をターゲットにしなくても空き巣や強盗にかこつけて呼びかければいいじゃないですか

強盗被害や空き巣窃盗の被害者は、どの程度まで犠牲者非難を免れるのか、一般的な自衛や防犯の呼び掛けを「自分への非難」だと受け取り精神的に動揺するおそれは少ないものなのか・・・これはなかなか想像の及ぶところではないですが

「犯罪被害をふせぐためにはXXXXを避けるべきだ、XXXしよう」という主張は、<とりあえず それ自体が問題ではない >

という最初の私の考えと重なるな、と大いに意を強くした次第。
当然、論者は上に引用したような理由を挙げ、性犯罪の際の「呼び掛け」は否定しており、そこは遺憾ながら意見が異なるところです。
ただし、「空き巣や強盗にかこつけての(かぎ掛け)呼び掛け」ならいい、という見解は重要だと思います。推測ながら、たぶん自転車窃盗も入るのかな。

「同一カテゴリーの中での、程度の問題」として考えるとやはりこれらはすっきりとわかるでしょう。そして程度の問題は、個々人の受け取りに差があってもおかしくない性質のものです。
たとえば『強盗に遭った被害者は(も)、大変な精神的恐怖とショックを受けており「強盗被害を防ぐためにそれぞれ注意しよう」という呼びかけを、「お前が愚かだから強盗被害にあったんだ」と受け取る(恐れがある)!そもそもこちらの警戒の有無に関係なく、強盗されない社会こそあるべき姿ではないか!』という批判をする人がいるかもしれない。それは何度も繰り返すが<程度>の議論であって、本質的な違いは無いと考えます。さらに「程度」が極端になると、もっとラディカルに「鍵をかけない自由だってある」となるかも。

【10日追記】「同一カテゴリー」の認識が「男が女に説教」の構図を防ぐ &「既に知ってる」論について

■「男が女に」説教? それを防ぐためにも・・・
id:md2takさんのコメント(家のマーク)から飛べるリンク先にて
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20091207/p2#c1260301809

どうやら「男には女に説教する権利がある」という発想が根底にある

ここで自転車の鍵も、リンク先の書き手が「それにかこつけて呼び掛ければいい」とした強盗・空き巣も、そして性犯罪も、「犯罪被害をふせぐためにはXXXXを避けるべきだ、XXXしよう」という議論」の対象として同一カテゴリーに属するんだ」という認識が生きてくる。「わがはい男が女に、性犯罪に注意せよと説教をかましてやるワイ・・・」という人には「貴方は(無施錠で)自転車窃盗の被害に遭う人や、防犯措置がいたらず・または防犯措置をできるかぎりしたに関わらず空き巣に遭う人が、みな女性だとでも思っているのですか? どちらも同じカテゴリーの話じゃないですか」といえば、そういう男尊女卑主義者も、たちまちぎゃふんです。


■「分かっている」「既にやってる」「言われるまでも無い」論
という反応を散見しますが、これは少し考えると分かるんですが、別の方向から「内容自体に間違いは無い」と認定されているのと同様なんですよね。間違っている主張を間違っているまま「分かってる」「言われるまでも無い」と返す人はいないでしょうから。

(10日に追記有)これで届くかな?

http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20091207/p2#c1260301809
更新してタイトルを変えただけではTBを再度送ることはできないらしいので、
新エントリを作ってそこから送信すれば大丈夫かな?
文章はひとつ上の【10日追記】などです