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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「プロレス頂上決戦」(vsレスナー)か「平成のサンテル再び」(vs石井慧)か・・・ジョシュの夢対決は


OMASUKI FIGHTからです

http://omasuki.blog122.fc2.com/blog-entry-344.html

日米の複数のブログで書かれているし、ボクも何故かふと、そう思ったんだけど、レスナーとバーネットの試合を見てみたい気がしました。このシンクロニシティは何なんだろう。

プロレスラーはプロレスラーが始末する…てなわけじゃないけど、遅ればせながらわたしも賛成。
まず、体格的にUFCは日本のMMAと違っていまは上限があり、巨人という話だとティム・シルビアあたりぐらいですよね。そこにレスナーは絞ってその階級に落とすという体格を利して今回頂点に立った。
そういう形で体力負けしない選手ということだとジョシュ・バーネットというのはいい話だと思う。

ただ、レスナーが勝利した時から思っていたけど、実現可能性という点ではじかなり難しいので黙っていた。
ダナ・ホワイトは相当感情的になった相手とも、利害が一致すれば手を組めるようだけど、ジョシュに関しては相当に悪感情を持っているということは分かる。アメリカでも人気がトップクラス、というわけでは無いし、「王者レスナー」という掌中の玉をみすみす、それも一番危険でコントロールしにくい人に渡すわけがない。
そもそもレスナーにとっても、まだ五戦目六戦目で彼と闘え、というのは気の毒だし。

それでも、この二人がリングなりオクタゴンで向かい合う絵が実現したら美しい。
「この世界では何でも起こりえる。ネバー・セイ・ネバーだ」というダナの言葉を信じることにしようか。


あとはメディアが、あのはげちゃびんを不愉快にさせることを承知で「ジョシュvsレスナー、もし闘わば?」という”アジェンダ・セッティング”(議題設定)をしてほしい。昔の月刊ゴングで「超人(ハルク・ホーガン)vs超獣(ブルーザー・ブロディ)もし闘わば?」という大特集をしたときはよく売れたそうだよ。


石井慧と「最強格闘マンガマニア決定戦」?

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/etc/20081119-00000015-spnavi-fight.html

「俺に会うとき“おまえはもう死んでいる”」。24日のIGF名古屋大会「GENOME 7」(愛知県体育館)に出場するジョシュ・バーネットから、石井慧に強烈なメッセージが届いた。
 ジョシュは前日18日、名古屋大会に来場を予告している石井に対し「俺の準備はできている。それとも俺と戦うのが怖いか」と対戦を要求するメッセージを送ったが、石井は「IGFは“アウト・オブ・眼中”」と完全に無視。この対応にジョシュは「プロというのがわかってないな。最強を目指すならいつ何時、誰の挑戦でも受ける。これがイノキゲノムだよ」と燃える闘魂に火が・・・

ミシシッピ川ハ ミズタマリヲ シカラナイ、トイウコトバガアルガ、オレハチガウ」
「僕が水溜りではなく、アマゾン川だと云々」

というふうに双方が古典からの引用合戦で博識を競う・・・なんてことになったら面白いのだが、どこの「香炉峰の雪」(枕草子)だよ(笑)。
ま、石井にとってはメーワクな話ですな(笑)小川直也への表敬なのだろうからメインにあわせて来場したほうがいいかも。


ただ、この前、「永田克彦ZSTハンター」という見方を紹介したのですが、ジョシュも考えてみれば貴方、吉田秀彦、パウエル・ナツラと2金メダリストを撃破、元強化選手で最もMMAに適応した一人、中村和裕にも完勝・・・ということで「柔道ハンター」「平成のアド・サンテル」なわけです。そういう因縁で、今はダメでもいつか、つながればいいな、とは思います。



【メモ】
石井については、OMASUKIにある「選手がカードコミで団体選ぶ」可能性を書きたいと思ったがあとの課題。
菊田vs吉田も後日

やっと「EDAMAME」(枝豆)を,自分たちで作って食い始めた外国人

海外知識を学ぶことが多い「誤訳御免!」ブログで、外国人から見た「最高の日本土産は?」という文章が紹介されている。
http://goyaku.seesaa.net/article/109860812.html

・・・品物を選ぶにあたって、いくつか基本的な原則がある。イギリスでも買える品物を持ち帰っても意味がない。(略)たとえば、ぼくはよく無印良品の名刺入れを友人に持って帰ってあげていた。ぼくの考えでは、一流のデザインの名刺入れだ。すると、この名刺入れはロンドンのMUJIですごく売れ筋の品で・・・・

 重いものも原則として除外である。ぼくはぜひマッサージ椅子を持ち帰りたいと思っているのだが、残念ながら、スーツケースに入るサイズのものをまだ見つけることができないでいる

HAHHAHA、小粋なブリティッシュ・ジョークですネ。
まあ、そんなのどうでもいいんだが

ぼくは味噌汁ではなく、きゅうりを切り、味噌をつけて食べるところを実演してやる。これほど安上がりで健康的、かつ美味しい軽食はそうざらにあるものでもないだろう。
 腐りやすい品物もダメだ。したがって枝豆は除外である。━━━腐りやすい点を除けば、ぜひスーツケースの中に入れたい一品なのだが。枝豆を口にした外国人はたいてい、たちまちのうちに枝豆のファンになる。ぼくは以前、イギリスに最終的に帰国することとなったら、どれほど枝豆を恋しく思うことだろうとよく心配したものだった。しかし、聞くところによると、いまではロンドンでも枝豆を買えるそうだ。何と「エダマメ」という名で呼ばれているらしい。

それはそうだ。枝豆うまい。
だが、

にもあるように、そもそも大豆を成熟する前に収穫したのが枝豆ではないか。それだけだ。
たしかに中国原産の豆ではあるだろうが、アメリカ、カナダなどが最大の生産国になって久しい。
だいたい、連作障害にはやや弱いが寄生した根粒菌が空中の窒素をかもし、いや固定し、どんなやせ地でもつくれる、初心者向けの農作物だよあれって。イギリスじゃ気候的に育たない?そんなことないと思うけど。


こういうものが、外国ではほとんど食べられていないとはねえ。
ま、ようやっと英国の都会では定着しつつあるのはご同慶のいたりだが、まだ前途遼遠だ。
なんといいますかね、いかに食文化というのは保守的なものであるか、ローカルな食文化がいかに美味くてお手軽で作りやすくても、メジャーになるのは一苦労かってことですね。
あちらのブロガーは今ごろ、日本人のブログを読んで「日本にはフィッシュ・アンド・チップスの店が無いんだって!信じられない」と書いているかもしれない。

この作品では「僕はフランス人だが、フィッシュ&チップスは美味かった」という話になっている。
これはもちろん、イギリス人が自分の口で「ウマイ」といってもだれも信じないからですね(笑)
掲示板だったら「英国人自演乙」とか言われる。
ことほど左様に食文化は保守的だ。


それでもケバブとかキムチとか、いろんなものが定着してきたし、今もしつつある。
日本は移民が少ないのに、広がっていく速度はまあ速いほうだと思う。その無節操さと、グローバリズムには感謝する。
なんで枝豆一つからこんな話を・・・他の書くべきことは多々あったのに、いつもよその掲示板を見ては流されるなぁ。

エジプトでオバマとブッシュを歌った新曲

以前、ヒズボラ賛歌「ようこそ、レバノンのタカ」という歌を紹介したことがあるが、エジプトの歌。エジプトの歌手は自国の体制批判
はできないが、反米反イスラエルの言論は相当許容されている。
そんな貴重な資料として紹介。
あと、やっぱりまったく異文化の中で、「褒め言葉」「けなし言葉」のレトリックというのは興味深い。はあ、こういう発想なのかとか、こういうのは万国共通だね、とか。アラブはまだ詩が文化の中に広く根付いているともいうし、コーラン的レトリックもある。
今後のエントリにもちょっとつながっていく予定です。

中東TODAYより
http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2008/11/post_90.html

「ブッシュ、キチガイ女の息子」  作詞:イスラムハリール


オバマがブッシュと同じでないことを望む
ブッシュはキチガイ女の息子だ
奴の家はアッラーが破壊するだろう
ブッシュは何年もアラブを破壊してきた


アラブ人よ、オバマに期待するな
オバマがお前の英雄サラデンと同じだと思うな
すべてのアメリカ大統領は同じだ、
ブッシュはキチガイ女の息子、中東全域に火をつけた
アフガン・イラク・ガザ、今はシリアに
オバマに何ができると思うんだよ!


ブッシュが行ってオバマが来たが、それがなんだというんだ?
パレスチナはいまだ占領下、イラクは破壊され続けている
アラブは恥をかかされている
世界は嫌悪の中に生き、ますます嫌悪が増している
オバマに何ができるんだ


あいつが右に行こうが左に行こうが
オバマが俺たちに何をするというんだ?
彼はハリーリを生き返らせることはできない(暗殺された元レバノン首相)
ヤーシーンを生き返らせることはできない(イスラエルによって爆殺されたパレスチナイスラム指導者)


アラブ人よ夢を見るな、ブッシュもオバマもお前のママじゃない
ブッシュもオバマもお前を助けない

来週の「マンガノゲンバ」は・:・・

http://www.nhk.or.jp/genba/next/next.html

■次回は11月25日(火) 深夜24:00-39 [BS2] / 11月26日(水) 午後6:00-39 [BShi]の放送です。
読み手ノゲンバ
仲村光「聖☆おにいさん

レビュアー:横里隆

 下界に降りたブッダとイエス立川市のアパートをルームシェアしながら東京観光と市民生活を体験するという、設定の奇抜さで読者を仰天させた話題のギャグマンガ。ちょっとヘンな二人組が地上で巻き起こすゆるーい騒動を笑いに仕立てたこの作品を、書評誌編集長の横里隆さんが語る。

作者ノゲンバ
小山宙哉宇宙兄弟

宇宙兄弟」を連載中の新鋭・小山宙哉さん。スター宇宙飛行士になった弟と、会社を解雇され少年時代の夢だった宇宙飛行士に挑戦することになった兄を描いている。京都でサラリーマンをしていた時代に持ち込んだ原稿が目にとまり、脱サラして編集者の指導のもと地道に力をつけてきた小山さん。初の本格長期連載に「先々までは決めずキャラクターを走らせたい。ネームのときの勢いと同じくらい原稿にも感情をこめたい。より多くの人に届く表現をめざしたい」と意欲を燃やす創作現場をたずね、持ち味となっている魅力的なキャラクターがどうやって生まれてくるのかを探る。


非常に宗教的な回だが、再来週はさらに宗教的(笑)に。
美内すずえが登場するのだ。

「麻生太郎の読み違え」を新聞記者はどう見ているか(発信箱)

発信箱:されど読み間違え=与良正男(論説室)

 麻生太郎首相が若い人の前で「僕は新聞なんて読まない。見出しだけで十分だ」と語るのを聞いたことがある。若い人たちも「身近な人」と感じたのか、結構、受けていた。

 まだ首相就任前。「新聞は政治家の悪口ばかり書く」といった文脈だったと記憶するが、新聞記者としては悲しかった。

 麻生首相が「踏襲」を「ふしゅう」、「頻繁」を「はんざつ」と読み間違えたとの話を聞いて思い出したのは、この一件だった。「漫画ばかり読んでいるからだ」というつもりはない。たかが読み間違えである。私も時にする。

 だが、教養や常識(それほど新聞は高尚ではないけれど)など不必要と言わんばかりの発言が歓迎される風潮が、首相の「国民的人気」なるものの一つの要素だったのではなかろうか。そう考えるとまた悲しくなる。

 もっと深刻な問題がある。なぜ、・・・(後略)


この「なぜ」は今の内閣迷走の本質につながるという。
与良氏の文章は面白い、とずっと前から自分は書いてきた(はてなキーワードも自分が作成)が、もう一人の毎日新聞政治記者岸井成格氏の闘病中に代打でテレビに出たこともああって知名度・人気は高まり、最近こういう文章が単行本化された。

与良政談

与良政談

麻生の新聞嫌いは、子どもの頃、吉田茂宅前にいる番記者に「お前の爺さんが死ねば、日本はもっと良くなるんだよ」と小突かれた経験も関係してくるらしい(笑)から、まあ同情できる部分もあるが。

で、その麻生が再び医師問題で失言。

麻生首相:「医者は社会的常識が欠落」 地方の不足巡り放言

 麻生太郎首相は19日、全国都道府県知事会議で地方の医師不足への対応を問われ、「自分で病院を経営しているから言うわけではないが、医者の確保は大変だ。(医師には)社会的常識がかなり欠落している人が多い。うちで何百人扱っているからよく分かる」と述べた。地方の医師不足の原因が医師側にあることを指摘したものだが、日本医師会などが反発するのは必至だ。(5面に発言要旨)

 さらに、「正直これだけ(医師不足が)激しくなれば、責任はお宅ら、お医者さんの話ではないのか。お医者さんを『減らせ減らせ、多すぎだ』と言ったのはどなたでしたか」と、過去の医師側の発言を紹介する形で批判した。
(略)
「まともなお医者さんが不快な思いをしたというのであれば、それは申し訳ありません」と釈明した

二階が批判されていることを目の前にしていてこれだからな。あ、逆にこの前「二階が逃げ切った」ことを見ていたのか。
あと「多い」だから全員ではなく、まともな医者と対比させたとかそういう詭弁は使えるか。

ところで、うしろのほう、「医師を減らせとあなた方は過去に言っていた」という発言はどうなの?

宇野常寛「ゼロ年代の想像力」批判(「先カンブリアンの補遣」より)

http://senkanburian.jugem.jp/?eid=498
にて、特にはてなでは長く話題になっている「ゼロ年代の想像力」を評しています。
ここでの批判を自分なりい要約すると
「個人的感性と、作品の時代性を混同しているのではないか」ということ

・・・作品群から、何らかの時代性を抽出するのであれば、そうした個人の資質や諒解とは距離をおいて、ある程度の万人にも通じるような、論理的な基準や根拠を提示せねばなりません。そうした裏づけが、全く出来ていませんでした。
 この本に書かれた内容を、仮に違和感なく、自身の感覚同然として受け止められる人は、きっと全体の2割でしょう。残りの人間は、著者の言わんとするところがよく分からない筈です。それは、個人の感性、現実の受け止め方に起因することだからです。
 そうした個人の感覚に帰することを峻別せず、まるで「時代全体の空気」のように扱ってしまっていることに、同書の重大な欠陥があります・・・


個別の読解に関しては該当作を自分が見ていないこともあり分からないのですが同書の「電脳コイル」の説明を挙げています

・・・具体例を挙げましょう。『電脳コイル』のクライマックスで、主人公の少女ヤサコが、もう一人の主人公であるイサコの精神を、電脳世界から連れ戻し、一連の事件が解決に向かう場面があります。
 その感動的なシーンを、著者の宇野常寛は、「中年視聴者層に向けた、少女愛のメタファ」と切って捨てるのです。有り得ません。まともに作品を見ていたら、こんな感想は出てこないでしょう。
 だって、ふたりの・・・(略)