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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

8/15・・・さいたまと靖国

もう、直前に迫りましたね。今度の日曜日だものなあ。
さて、今回「60億分の1」、世界最強の座を決める戦いを直接見るために、チケットを買って遠方から来られる人もたくさんいらっしゃるのでしょうね。うらやましいこって、ケッ。

・・・いやそれはともかく。
東京方面にこの日に出るということなら、当然この日は終戦記念日である。
時間のある人は、東京九段・靖国神社を訪れてはどうかねと提案したい。


もちろん、この神社へのスタンスは肯定的・否定的、多々あるだろう。
然れども、日本の大きな論点である同神社が、幸か不幸か一番騒がしくなるその日に、東京圏にいるというのはなかなか珍しい機会かもしれないではないか。
どんな立場であれ、自分の目、耳でこの場所を体験することは決して損ではあるまい。


この日のイベントとしては


・石原シンタローさん来る
・その他有象無象の政治家来る
・TV局とリポーター来る
2ちゃんねらーもたぶん来る

などが予定されております(本当か?)。本当は、8/9の「反ソデー」(ソ連軍侵攻の日だから)で、右翼団体が一般人の迷惑を顧みず整列してるのも見ものではあるが(ちなみに、3年前は若い隊員のほとんどが金髪に染めていて、ヘタな高校よりリベラルだった(笑))。

 
 神社に否定的な人は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑が近郊にある。
必ずしも、相互が対立するわけでもないが、同施設を拡大すれば靖国参拝は必要ない、との論者もいるのは事実だ。

http://blog.livedoor.jp/tama_liver/archives/96298.html




同時に、格闘技ファンなら、この神域が大正時代、伝説のレスラー、アド・サンテルルー・テーズの師匠)と、講道館柔道の異種格闘技戦が行われた場所であることはご存知だろう。
ご存知で無い人は
http://www20.tok2.com/home/gryphon/JAPANESE/SANTELL/santellmini.htm
を参照あれ。


靖国神社はこのPRIDEの先駆けのような試合が典型だが、その創設当時から、実は俗なるエンターテインメント、モダンというかキッチュというか・・・とにかく純日本的な伝統とは逆に離れた雰囲気を持ちあわせた場所だったそうです。

それはそうで、この場所に銅像の立っている大村益次郎が、西洋の戦死者顕彰の風を取りいれて造ったものだからね。

収斂型ナショナリズムが、まず「確固たる伝統」があり、、それを共有するものたちが、結集を強めて民族国家を形成したとするのはフィクションである。自体はまるで逆だった。ある程度の規模でネイションを形成しなければ、自分を守りえない状況が到来し、なんとかまとまって自己防衛ができた者たちが、そのまとまった皆で共有できそうな「伝統」体系、民族の物語を創造したのだ。いわば自作自演である。

浅羽通明ナショナリズム」P280,281

ただし、それが神社という形式になったのは、当然それなりの理由もあったはずだ。日本(にかぎらず全ての国の)「伝統」に他国の影響や近代の再構成があるのはもう左右両方の共通認識で、その「伝統」を作り上げざるをえなかったことをどう考えるか、であろう。

そんな、伝統と近代の交差点としても靖国神社は存在する。


この神社、JRだとけっこう最寄駅から歩くんだよな。市ヶ谷駅から約10分。市ヶ谷から秋葉原まで10分?ぐらいか?
そこから京浜東北線で約25分で、さいたまに着く。
(その後、駅からアリーナの中までは10-15分を見たほうがいいので注意を!)

http://yuyusangai.com/omairi/yasukuni.html



と、書き終えたちょうどその時、「報道ステーション」で小泉首相が「来年も参拝する」と表明したと報じていました。

8/15、筑紫哲也はどこへ・・・・

プロレスファンの一部にしか分からないパロディです(笑)
それはともかく、東京赤坂にTBSがあるわけで、筑紫哲也に限らずキャスター諸氏は、こんなすぐ近くにある「ニュースの現場」に足を運ぶべきではないか。

いや、やはり特に筑紫哲也氏はいくべきだろ。
「びびったか? たじろいだか?」といわれてもしょーがねっす。

ナンシー関の名言を思い出す。

筑紫、現場に弱いのか

宗教で思い出した

うそかまことか・・・ある南方の小島に、キリスト教の宣教師が訪れて、神の愛、キリストの受難と人類の原罪をあがなった事跡を熱心に説いた。
短期間の滞在であったが、純朴なネイティブの島民は熱心に聖書のストーリーを聞き、深く感銘を受けたという。手ごたえを感じ、満足して去っていく宣教師。

しかし数年後、島を再訪した宣教師がみたものは・・・
「お話によると、偉くてお強いキリスト様を、ユダ様が最後にやっつけたんでしょ?」として、ユダを最高神とあがめる独自の教会だったという(笑)。

「高句麗」争奪戦。過去の領土を取り合わなくても(笑)

上の、「伝統があとから必要に応じ作られる」という話の一例として、最近お隣では大きなトピックとなっている「高句麗史」問題について・・・は後日。