自民党総裁選はまだまだ情勢は読めないながら、与論調査などでは小泉進次郎がトップに踊り出ているようだ。そしてその小泉は大きな後ろ盾として「菅義偉元首相」を味方につけているとも報道されている。
そういう点で…と同時に就任当初はかなりの人気を得ながら失速して長期政権を築けなかったという、今後の自民党にとっては不吉な前例であることも含めて「菅義偉」に再度注目していいと思う。
そういう点で格好の資料になるのが、たった1年間で崩壊した政権の顛末を日本テレビ政治部の番記者として追い続けた人物の菅評伝「孤独の宰相」だ。
改革を目指した「政界一の喧嘩屋」はなぜ総理の座を追われたのか――。
安倍・麻生との確執から、河野・小泉との本当の関係まで、
担当記者だからこそ書ける菅義偉の実像。「歴代総理の中で、菅ほど、その実像が伝わらなかった宰相はいなかったかもしれない。一体、どこで何を誤ったのか。この6年あまり、担当記者として菅の息づかいまでを間近で感じながら取材を続けてきた私だからこそ、その真実を探し出せるのではないかと考えたのが、この本を執筆した理由の一つである」(「はじめに」より)
と言っても執筆者はただの番記者ではないというか…いやこれがある意味「典型的な番記者」なのかもしれないが、取材対象であるはずの菅と朝食、昼食を共にし、演説現行を事前に見てアドバイスを送り、人事構想を相談し…今でもこういうズブズブな関係に政治記者と政治家ってなるのかよ、と思わせるような関係なのだ。それを隠そうともしてないし。
しかし一方でここまでの関係を深めないと内部の情報は取れない部分もあるだろうし、それをこのような形で記録に残せばそれが歴史的資料として生かせるのも事実だ。この手の政治記者も自分の言い訳として「これは後で記事として発表する(この「あとで」がくせものなのだが)。だから今は内部に入り込むことを優先する」と言うんだよね。
この本でもこの柳沢記者が、いわば菅義偉陣営の「身内」に入る経緯が正直に描かれている。
・記者として踏み込むというか暴走というか、そういうやり過ぎ(?かどうか)の取材をする
・菅義偉が怒って、いったん出入り禁止にする
・記者は謝罪の手紙を送る
・菅「分かればいいんだ、一緒に食事をしよう」と申し出る……
うまく記者が政治家の「懐に入り込んだ」のか、政治家が記者を「取り込んだ」のか……
まあ、その是非論は過去にも語ったことあるし、ここではそれ以上は踏み込まない。内容をちゃっちゃと紹介せねば。
そんな菅義偉が、市議会議員の叩き上げで国会議員になった、そんな1からのスタートから一国の総理大臣になるまでにどう台頭してきたか。このディティールがちょっと面白かったので紹介したい。
菅義偉が第一次安倍政権の時に「唯一、仕事ができる」とまで言われたのは事実だが、結局、彼は首相になるまでにどんな政策実績を積み上げたのか?かなり精神的に一体化したバンキシャから見た評価、ではあるが……
その一例が、日本観光客誘致の推進。この本では詳しく書かれている。
目に見える政策を
安倍政権は「アベノミクスの『三本の矢』」、「一億総活躍社会」など看板政策を矢継ぎ早に打ち出し、国民を飽きさせない演出に腐心してきた。しかし、官房長官時代の菅はこうした政策とは一線を画し、独自の道を突き進んでいた。
菅に近い官僚は、こう分析する。
「菅さんは、『タンジブル(実体がある、実際に触れることができる)』な政策にしか興味がない。目に見えて、数字で結果が分かるものにしか関心がないのが特徴だ」
その一番分かりやすい例が、外国人観光客の誘致だ。菅にとって、インバウンド政策とそが、地方創生の切り札だと考えていた。
2017年1月22日のことだった。官房長官秘書官が興奮した様子で、菅の執務室に報告に入る。
「長官、去年1年間の訪日外国人観光客数が、ついに2400万人を超えました」
政権交代前の2012年には830万人だった訪日外国人が、わずか4年で約3倍に増えたという統計が、年が明けて確定したのだ。しかし、菅は表情一つ変えずに、こう返した。「今月の数字はどうなっている?」
インバウンド政策こそ、菅官房長官時代に最も力を入れ、成果を出したものだった。スタートは、「なぜ、日本を訪れる外国人観光客は韓国よりも少ないのか」という素朴な疑問だった。そこで、各所に事情を聴くと、浮き彫りになったのが訪日ビザという規制の存在だった。治安悪化を懸念する警察庁や法務省の大反対を受けたが、赤坂の議員宿舎に国家公安委員長や法相、外相を集め、わずか10分で、ビザ取得要件緩和の判断を下したというエピソードの披露は、菅の演説でのお約束になった。
菅の観光政策に大きな影響を与えたのが、2015年に出版した著書『新・観光立国論』で日本のそれまでの観光政策の誤りを指摘してきたデービッド・アトキンソンだ。イギリス出身の金融アナリストで、日本の文化財の修復を手がける小西美術工藝社の社長を務めるアトキンソンは、観光立国としての日本のポテンシャルの高さを指摘し、その活用のために必要な具体策を提言した。菅は、アトキンソンを政府の「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」の有識者に登用し、文化財の「保存」から「活用」への転換など、それまでの日本の観光政策を覆す具体策を繰り出していく。
その一つが、赤坂迎賓館の開放だった。菅は、まだ総務大臣だったころ、初めて足を踏みれた日本唯一のネオ・バロック様式の西洋宮殿建築に、「迎賓館という施設は何て素晴らしいのだ。自分の両親にもいつか見せてあげたい」という思いを抱いたという。そして、官房長官に就任するとすぐに、この迎賓館を国民のため、観光客のため開放することを決断する。それまでは、迎賓館は年間で約10日間、しかも抽選制で一般に開放されるだけだった。しかし、外国要人の接遇で使用されるのは、年間わずか数回。
「こんなの、国民から見ておかしいでしょ」、菅の動きは早かった。迎賓館の職員は、「接遇への影響」や「施設の保全」など開放に反対する理由をいくつも挙げてきたが、抵抗する幹部を交代させ、アトキンソンを迎賓館のアドバイザーとして送り込んだ。人事で、その強い意志を示すのが菅のやり方だ。
2015年11月、菅は赤坂迎賓館を年間約150日、一般公開することを発表する。これが観光客の人気を博し、今では、一般公開は250日間にも及び、その前庭ではアルコールなど飲食も提供されるようになり、観光拠点へと様変わりしようとしている。菅が開いた重い扉は赤坂迎賓館だけではない。京都迎賓館や京都御所、桂離宮など、一般の国民に閉ざされていた公的施設を一般に開放することを決めたのだ。
その他にも、菅は、「なぜ、日本では免税品売り場は、空港など限られた場所にしかないのか」という疑問から、免税制度の改革に取り組む。免税品売り場に関する規制を緩和し、さらに免税品の対象も拡大したことで、海外の観光地と同じように、街中に免税品売り場があふれた。
さらに、2016年春、菅が目をつけたのが、観光資源が豊富な北海道の玄関口、新千歳空港だった。ここには航空自衛隊千歳飛行場が隣接していたために、発着枠に大きな制限があった。そこに切り込んだ。
「新千歳空港は『自衛隊が週2回は24時間訓練している』という理由で、その時間帯は民間航空機の発着ができなかった。でも内々に調べたら24時間も訓練なんてしていなかったんだよ。
あと、自衛隊は『中国やロシアの民間機が来ると、自衛隊の基地が見られてしまう』と言うんだけど、今は、衛星もあるのだから、そんなことしなくたって見られるだろ」
規制の固い扉をこじ開けようとする菅に、防衛官僚が反発する。
「そんなことをしたら、自民党の防衛族の先生方からも異論が出ます」
これに菅は激怒する。
「お前らは余計な心配をしなくていい。防衛族への説明は私がやる。自衛隊が持っている基地だと思っているのだろうけど、これは国民のものなんだから、勘違いするな。ただ、訓練を本当に週2回24時間やっていて、国防上不可欠だというのであれば、私は無理を言わない。だったら、今までの訓練の実績を全部持ってこい」
結局、防衛省は、実績に関する資料を持ってこなかった。そして、1時間あたりの発着枠を2回から4回へ拡大することを容認し、さらに中国とロシアの民間機に対する発着制限を大幅に緩和することを認めた。これにより、北海道への外国人観光客が一気に増えることとなった。菅は、こうした省庁横断のインバウンド政策を次々に打ち出していく。外国人観光客急増の恩恵は地方経済にも及び、「もう二度と上昇しない」とさえ言われていた地方の地価を20年ぶりに上昇させた。外国人観光客による消費額は約1兆円から約5兆円にまで伸び、観光は日本の新たな成長産業へと育った。
この推進政策が始まってから何年目になるか数えていないがそれ以前は日本の観光客来日は「韓国以下」であったというのはもはや忘れられた感覚であろう。
もちろん観光客が増えたというのは円安の効果だ、というのはメインにあるだろうしそもそも観光客を迎えるというのはオーバーツーリズムで庶民が苦しむだけ、とか、、そもそも観光客の財布をあてにするというのが日本の地位の低下であり国力が失われたということだ…というようなナショナリズム的な批判もあるかもしれない。
わからんでもないが例えば円安に関しては「と言ってもそこの国の通貨が安くなったから観光に行きたくなった!となって実際に観光客が増える国がどれぐらいありますか」ということにもなろう。通貨安だから観光客が倍増しました、3倍、5倍になりましたという国はそうめったにないわけで、観光振興政策がやはり奏功した、といえるのではないか。
最近、まったく別方面の弥助云々で話題になったデービット・アトキンソン氏は言う…
これ以外にもこの本ではプロパガンダ的にたくさんの菅義偉の「政策の実績」について書かれていてまあ提灯的な意味合いもあると思うのだけど、こういう個別のことを知る機会もないわけでなかなか興味深い。
自分がおやっと思ったのは「携帯電話」に関する記述。後年の料金引き下げの話もあるんだが、そうではなく「携帯電話購入に身分証明が必要となる」という経緯。
菅が持つ、法務省や警察庁の人脈は、菅が若手議員時代にともに議員立法を手がけたことがきっかけで広がっていった。警察庁のキャリア官僚は、当時を述懐する。
「菅さんは、銀行口座の売買を罰則付きで規制する法案を作ってくれました。嫌がる金融庁を押さえつけ、その後、携帯電話の本人確認や転売の禁止も、反対する総務省と族議員を菅さんがなぎ倒してやってくれた。積極的に議員立法をやってくれる、気軽に話ができる良い先生という印象でした。一時は『治安の菅』と呼ばれていたくらいでした。こうした分野は、決して票につながらないから、ほとんどの政治家は手を付けたがらなかったのに、菅さんはやってくれましたね」
なぜ、選挙に直接、有利になるわけではない議員立法に取り組んだのか。菅は恥ずかしそうに静かな声で言った。
「せっかく政治家になったのだから、政治家にしかできないことをやりたいのは当然だろ。国民のためになるのだったら、何でも良いんだよ」
古民家再生、ジビエの普及、利水ダムの防災活用、携帯料金の引き下げ等々、菅が、官房長官として取り組んできた政策は、「なんで、こんなものを官房長官が」と思われるものばかりだ。しかし、目に見える形で国民の暮らしが少しでも良くなることをしたい、という政治家・菅の意外なほどの純粋な思いが、彼を駆り立ててきたのだ。
最後のヨイショ記述はどうでもいいんだけど、逆に番記者が書く政治家本の感じがよく出ているのであえて引用(笑)
しかし、その前の携帯電話や銀行口座の話……
自分は、マイナンバーカードである意味一区切りがついた「国家による個人の情報の把握」の、極めて重要なメルクマールは、上の「携帯電話の購入時は本人確認がなされる」だと思っている。
これでほとんど自動的に、本当に闇の世界の住人でないかぎり、99.9%の国民は何とか辿れば「紐づく」ようになったのだ。
携帯電話は外部、他者とコミュニケーションするためのツールだから、否応なくどこかで外と繋がる。それが本人確認までなされれば、どこかで一本の線でつながる。これが決まった時、そう感じて、ついに国家は匿名たる個人を容認しなくなったのだな、と思ったものだったが、今では携帯電話購入時に本人確認がされることを不思議がったり反発したりする人はほとんど いるまい。
そしておそらく治安 という面ではこの政策は確かに効果が高かったと思われる。
しかし 自民党内で普通に検討していると、この種の方針には反発が大きく なかなか進まなかった。 それに積極的に賛同し推進した政治家であった菅義偉が「 治安の菅」と呼ばれるようになった、というのは 注目に値する。
自民党の中にリバタリアン的な、権力機構の規制や 監視を忌避する潮流があるのか… だったら 試走してに興味深いが、支援者 講演者の中に銀行口座などを監視されると とても嫌な層が紛れ込んでいると考える方が自然っぽい(笑)
ともあれ、菅義偉は大嫌いだった岸田文雄(その悪口の記録も、この本には多数ある(笑))の政権時の雌伏を経て、また政争の場に登場する。
※なお「菅義偉、岸田文雄が嫌いの記」は過去に引用していた…というかこの過去記事で同じ本を紹介してたこと忘れてたよ、すっかり(笑)だから一部内容が重複してる。
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まだ勝利になるかどうかは前述の通りわからないが、一応本命視もされる「小泉進次郎」政権なら、その後見役、キングメーカーということになる。その人物について、とりあえずこういう話を紹介しておきます(了)