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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

呉智英氏の新刊「バカに唾をかけろ」が6月発売

バカに唾をかけろ

バカに唾をかけろ

  • 作者:呉 智英
  • 発売日: 2021/06/03
  • メディア: 新書



自称知識知人の無知・無見識をあぶり出す。

「最も危険な論客」が衆愚社会を撃つ!自称知識人たちの無知・無見識を容赦なくあぶり出す“劇薬”。
たとえば話題になった「表現の不自由展」については、こうして一刀両断。〈議論の中心にあるのは慰安婦を象徴する「少女像」だが、これ、いつ表現が不自由になったのか。少女像はソウルの日本大使館前に二〇一一年から堂々と設置されている。しかも公道にである。(中略)こうした少女像のどこが「表現の不自由」なのか。津田大介ら破廉恥な運動家連中がわざわざここで表現の不自由を作り出したのだ。ありもしない交通事故を作り出す「当り屋」商売と同じである〉(本文より)
返す刀で保守派に対しても、〈何を「保守」すべきかといえば、まず伝統だろう。しかし、伝統の意味を誤解していては話にならないし、昨日今日の流行を伝統だと思い込んでいては大恥だろう。ところが、現実にはそういう論者が多いのだ〉と手厳しい。
そしてこう嘆く。〈大衆も知識人もバカまみれ、バカ汚染である。こんな時代に心ある人のできることは何か。バカを痛罵することだ。バカに痛罵をかけろ。バカに唾をかけろ〉


【編集担当からのおすすめ情報】
週刊ポスト』で連載していた「現実のバカ」に新たに補論を加え、さらに長文評論「人権を疑え」を加筆した、著者の集大成的評論集です。ベストセラー『バカにつける薬』から30年余り、ますます劣化した自称知識人と衆愚社会に向けた「狂暴なる言論」は、それでもなお知識や教養を求める人たちにとっての最後の救いなのかもしれません。

朝倉未来と萩原京平、対戦の是非についてツイッターで相互煽り




自分は、最終的にやると思っている。それはまさしく、萩原が「まだ2勝(3勝)1敗」の選手だから、「それゆえに」なんだけど



路上の伝説

路上の伝説

自身の過去の”鬼畜系”コラムを「やや不謹慎」で済ませるの、メンタルつえーな、と思った(香山リカ氏の著書から)

昨年出た、香山リカ氏のこんな著書がある。

ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論

ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論

バブルに沸く日本で「表現の自由」を拡張したサブカルチャー、その象徴でもある漫画家・根本敬の世界に魅せられた精神科医が、サブカルとともに歩んできた自らの歴史を振り返りながら、90年代「悪趣味」ブームと平成末期の「ヘイト」の関連、表現することの未来と自由の可能性を解き明かす。

私は、31歳のとき書いた根本敬論で、「見てはいけない」と禁止されているものを見るのは「恋」と同じなのではないか、と書いた。「根本のマンガに登場する素材のうち、性倒錯者、糞尿マニア、守銭奴、乱暴者、貧乏な人などは、暗い世界とはいってもあくまで日常の了解がぎりぎり通用する」としながら、「妄想や幻覚、奇形、屍体などが自在に活動しだす時点」では、ついに「見てはいけない」の線が越えられている。私が、それを見たいというのは「恋」の視線なのだ、だから弾圧されることなどあってはならない、と書いた。あのとき「恋」という言葉で説明してしまった根本の漫画を、平成も終わるいま、もう一度、社会の中で考えてみたい。それがこの本の目的である。(本文より)


香山氏の論説を、時間やカネをかけて読む価値はあまりないと思っているけれども、ただこのテーマ設定は面白そうだった。
というのは、やはりこの論を掘っていくと、香山氏が今身を寄せている”陣営”や、自分の基盤を掘り崩していくんじゃないか?感があると思ったからだった。

実際、そういう面は読んでみて感じられた。
たとえば第一章の中では、バルテュスの「夢見るテレーズ」が、倫理に反する作品だということでNYメトロポリタン美術館から撤去せよ、という署名運動があることを紹介している。

togetter.com
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香山氏はこう語る

「だからといってその昔、芸術的価値があった作品が、社会の中で芸術ではなくなり規制の対象となる、ということがあってよいものだろうか」
ポリティカル・コレクトネスと芸術との在り方についていま一度、考えることを迫るものであり、私は重い気分になるのである」


その後、根本敬について、香山流の作品論を語る。ここは読む必要とくになし。太田出版社は、この部分を全部カットして、本の価格を抑えるべきでありました。


それで第5章では、
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この種の議論に関して

根本ファンである私自身、それにどう反論してよいか、言葉を見つけられなくなったこともあった
(P255 )

みたいなことを言ってる。

ただ、その前に・・・・・・・・・191、192P

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香山リカ氏、過去に連載した鬼畜系コラム「サイコのお部屋」を「やや不謹慎なタイトル」で済ませる

なにしろ「すぎやまこういちは右翼なので音楽を聴きたくないから、無音でドラクエをやっている」ほどの香山氏である。
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「サイコのお部屋」に罪悪感を感じ、涙ながらに反省の弁を述べる記述でもあるかと思いきや
「やや不謹慎なタイトル」
「今考えると……”鬼畜系”のバリエーションとも言ってもよい」
で、さらっと済ませてることに驚いた。
メンタルつえーな!!!!



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まあ、超絶発言である「原発推進派は心の病気」もいまだに撤回しないし、

原発推進派は心の病気」(香山リカ氏、2012)に、木村幹氏らがあらためて批判 - Togetter https://togetter.com/li/1256098

「日本人」や「50(歳代)」「オトコ」なる、どちらも自分では変更しようのない属性をひとまとめにして「劣化」であると認定…

50オトコはなぜ劣化したのか(小学館新書)

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……しつつ、自身をリベラルであり反ヘイトだと自認している点でまー、その、なんだなんですけどネ。




閑話休題、「ヘイト・悪趣味・サブカルチャー」だが、意外なオチが待っている。

最後に近くなり、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の「なんJ」というところに書き込んでいる住民たちが通報祭りをして、人種差別的youtuberの”凍結祭り”を行っている、ということを絶賛し、

サブカルはやっぱりヘイトではなかった。ヘイトを駆逐するのはサブカルだった。サブカルでよかったのだ」(270P)

という結論に到達する。

・・・・・・なんかに似てるなあ、と思ったら、まさに似たような例を思い出した。

「モンゴル軍がイスラム諸国を攻撃して滅ぼしている、との情報に接した西洋キリスト教国が、そのモンゴル軍こそ、東方にあると言われた偉大なキリスト教の賢王『プレスター・ジョン』が率いる援軍に違いない!!と誤認した」という故事だ。

……その後どうなったかは、ワールシュタットの地が知っている。



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へえ、そういう雑誌か…


【再掲載】「悪趣味」とヘイトの関係とか悩む前に、げんきに香山さんは「実話BUNKA超タブー」のインタビュー(2019年)にご登場してる。

実話BUNKA超タブー vol.43

韓国国会議長の天皇謝罪要求は新天皇の「即位の礼」潰しだった
韓国が世界にバラ撒くウソ徴用工の真実を暴く

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実話BUKNA超タブー 香山リカさんも同じ号に出演
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香山リカ氏、そもそもなんで「実話BUNKA超タブー」に登場したのだろう

香山リカ 心の棚が ジャイアン

ちばてつやが遅刻の梶原一騎に代わり「あしたのジョー」舞台挨拶で先にマイクを握ったら…何が起こったか?(「梶原一騎伝」)

ひとつ前がちばてつや先生の記事なので…直接の縁はないんだけど、この話を紹介しよう。
元は最近出た「純情 梶原一騎正伝」と比較させる意味で、「梶原一騎伝 夕焼けを見ていた男」を再読したのでした。

1995年に初版が出た時読んだから、もう30年近く前。そりゃ細部を覚えている訳が無かった。

ちばてつや梶原一騎に関する記述はいろいろあり、例えば冒頭部分でドヤ街描写など、相当原作をいじってちば先生がオリジナル描写を加えたこと、そのころから「原作の一字一句の改変もゆるさず!」だった梶原一騎がどのように納得したか、
体格差のあるように描いてしまった力石徹が、その後永遠のライバルになったため「同じ階級にするために力石が死の減量をする」という展開になったこと、
白木葉子はジョーが好きなのか嫌いなのか、揺れ動いたこと、逆に紀子がジョーではなくマンモス鈴木と結ばれること
そしてラストシーン……他でも語られていたいろいろな伝説が過不足なくまとめられている。
ちば先生が今度の短編集に収録した最新作「グレてつ」でも一部描かれていた。


そして…へー、斎藤貴男氏、この話に特化した別のノンフィクションも本にしてたのね。

(※ただこの後、夏目房之介氏であったかな、紫電改のタカやハリスの旋風ですでに大人気漫画家だったちばてつや梶原一騎と五分か、或いは格上の存在であり、力関係に敏感な一騎は、最初から一目も二目も置いていたのではないか、と推測していた。)


しかし、その「ジョー」が不世出の人気を確立したあとの話・・・・・・・・梶原一騎が設立した映画会社「三協映画」が、あしたのジョーを映画アニメにする…。

あしたのジョー2 COMPLETE DVD BOOK VOL.5 (<DVD>)

あしたのジョー2 COMPLETE DVD BOOK VOL.5 (<DVD>)

  • 発売日: 2019/03/28
  • メディア: 単行本

……昭和五十六年七月、劇場用アニメ「あしたのジョー2」が、全国の東映系劇場で一斉公開された。制作は梶原の三協映画。前年、その十年前にヒットした「ジョー」のテレビアニメを劇場用に再編集して公開したのが当たったので、その続編というわけである。パート2にはちばてつやの「ちば企画」も出資した。パート2では、力石の死後からラストのホセ・メンドーサ戦までが描かれた。同時平行でテレビアニメ「ジョー2」の企画も進み、こちらが映画公開の頃にはすでに回を重ねているという連携作戦が当たって、試写会の人気も上々だった。

試写会後、東京・渋谷のパーティー会場。挨拶は原作者であり三協映画のトップでもある梶原、続いてちばの順に予定されていたのだが、梶原はここに来る途中で渋滞に巻き込まれ、到着がかなり遅れてしまった。仕方なく、ちばがマイクを握る。「皆さんすみません。梶原先生が遅れているようなので、私が先にご挨拶をさせていただきます―――」
せっかくのお客さんたちを、あまり待たせるわけにはいかない。舞台挨拶は無事進行したが、これが梶原の気を損ねた。
その晩は関係者たちと飲み明かしたちばが、翌日の早朝に帰宅して床につくと、一本の電話に叩き起こされた。初め父親が受話器を取り、本人が眠ったばかりであることを告げたが、どうしても本人を出せという。
電話の内容は、抗議であるようだった。昨日の挨拶は何だ、梶原先生を馬鹿にしたな、というのである。酔った寝入りばなのこととて、初めは相手が誰で、何のことを言っているのかもわからなかったちばは、やがて相手が自分も知っている、梶原にごく近い人物であることに気がついた。
「ああ、あなた○○さんでしたか」「誰だと思ってたんだ、このバカヤロー!」


その後もしばらくの間、梶原周辺からの同様の電話が続いた。ちばが知っている人からの場合も、そうでない場合もあった。「よく恐ろしくもなく、町ん中を走れるな。近くにウチの若い者が行ってないか?」
と、これはジョギングから帰ってきた時にかかってきた電話。梶原の秘書を名乗る男からの、こんな電話もあった。「今、周りの者がそちらに向かって行ったようなんです。知りませんか」
中には、「会いたい」と言ってきた男もいた。指定されたホテルのロビーに出向いたちばが、いったい何を要求されるのかと考えていると、やってきた男は頭を下げてきた。「ちば先生、申し訳ありません。みんな梶原に言われてやってることなんです。すぐ後ろで、梶原が私の足を蹴りながら見張ってるんです。そうでなければ、私だってあんなこと、したくないんです」


梶原とその周辺は、荒みきっていた。それにしても、仕方なく先に挨拶しただけのことで、なぜこんなことをされなければならないのか、ちばには皆目見当がつかなかった。
ちばは当時、この話を誰にもしなかった。が、ちばプロダクションにも毎日大勢の人が出入りしている。梶原周辺の若い者が、自慢げに吹聴したかもしれない。
この話は漫画界で旗原の火のように広まり、編集者たちはそこここでこんな挨拶を交わした。「梶原さん、いよいよ駄目だよ」。
すでに、つのだじろうにまつわる一連の事件は漫画界の常識だった。松本零士の「宇宙戦艦ヤマト」が大ヒットした時も、梶原の周囲には息巻く者があったといわれる。
昭和三十年代、まだ漫画原作に手を染める前の梶原が、やはり戦艦大和が再生され、羽をつけて空を飛ぶというアイディアの少年小説を「おもしろブック」に発表したことがあるからである。もっともそれも、「昭和遊撃隊」で知られる戦前の児童文学者・平田晋策の「新戦艦高千穂」にヒントを得ていたのだが。「それまでの事件には、それなりに理解できる部分がありました。脅迫なんかいけないに決まってるけど、つのださんの件なんかは、梶原さんに分があるとも思います。だけど、このちばさんの一件だけはね。
それだけ、ちばさんはこの業界では人格者で通ってるんですよ。みんなに好かれている。そのちばさんを脅した。ついに、そこまでいっちゃったか......と、業界全体がなってしまったわけです」
今では役員クラスに昇進している、当時のある少年週刊誌の編集長の回想である。この年の秋、ちばの漫画家生活二十五周年を祝うパーティーが催されている。「あしたのジョー」で燃え尽きることのできた男は、なおこんなにも皆に愛されている。
燃え尽きることができなかった梶原の胸に残った燃えかすは、まだブスブスと不完全燃焼を続けていた。
梶原を新たに起用する編集部は、ほとんど談社系の出版社だけになった。「少年マガジン」では、昭和五十七年の一月から「悪役プルース」(峰岸とおる・画)が始まった。前後して「ヤングマガジン」で「女子レスラー紅子」(中城健)、「月刊少年マガジン」で「タイガーマスク=世」(宮田洋一)の連載が開始されている。いずれも当時の梶原のビジネスに連動した格闘技漫画であるという点で共通していた。大ヒットにはならなくても、格闘技界の黒幕が自ら書く情報漫画として、一定の読者層は見込めるという判断が、講談社側にあった。


梶原一騎の言動を「稚気愛すべし」「ガキ大将がそのまんま大人になったようで、憎めない」「悪人というより、コワモテの”悪役”を演じていた」……みたいな感じで弁護する向きもあるが、たしかにそういう面もあるにせよ、結局この一事件だけで、十分に「こういう人物とはかかわりあいを持ちたくない」と思わせるに足る。第一、挨拶の順番にこだわって、かつてのビジネスパートナーに対して取り巻きに脅迫させるなんて稚気というより陰湿な大人のふるまいだろう。


そして、そういう序列への意味のないこだわりなんて…ぶっちゃけ、そのへんの会社にも学校にも業界にも、石を投げれば当たるほど数多い。
梶原一騎、やっぱり弁護の余地ない巨悪だわ」の半面、逆に「悪にしても、そのへんに一山いくらでいる、平凡で凡庸な悪やなあ」感も。




そんな形で、マンガ業界では祭り上げられつつ敬遠された梶原一騎は、ますます格闘技や映画の世界にのめり込み、酒色におぼれ、取り巻きとのタテの人間関係のみになっていく…。
土田世紀編集王」のマンボ好塚は、このへんの業界伝説に尾ひれをつけてデフォルメしたんだろうな。




ただ、本人もそれを自覚していて、本質的にさびしがりやな彼は……、ごく少数の、梶原一騎にものおじしない漫画家とは、たまには温かい交流の場面も持つ。
矢口高雄原田久仁信氏が、それだ。

そこだけが、どんどん暗く転落していく梶原一騎の人生の、ときおりのセピア色の温かい場面として、この本では挿入されている。


残念ながら矢口高雄氏はこの前逝去されたが、ちばてつや原田久仁信氏も、このへんで「パートナー作画者から見た梶原一騎の一場面」を漫画で描いてくれないかなあ。上のような話を敢えて回避して、いい思い出だけでも構わないから……(了)


ちばてつやとトキワ荘の縁を描いた「トモガキ」の前半がtwitterにUPされた


ボクの感想ブクマ

ビッグコミック編集部 on Twitter: "ちばてつやが言えなかった、トキワ荘を巻き込んだ“事件”の話(1/11) #ちばてつや https://t.co/tQr1AUowlK"

あっ、これをネット上にUPしたのね。ちばてつや負傷の経緯のあほらしさと「あほらしかろうとなんだろうと、歴史は動くときは動くよな」という納得感があってね(笑)

2021/05/01 08:38
b.hatena.ne.jp

この「トモガキ」は、白眉中の白眉であってね。これを売りにPRするのは当然でありましょう。


ただ、満州からの引き揚げ経緯を描いた作品や「あしたのジョー」最終回から「のたり松太郎」誕生に至るまでを描いた作品も、非常に重要。
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その他
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朝生の出演者

もう放送してる。出演者のみ

渡辺宜嗣テレビ朝日
下平さやかテレビ朝日

【司会】
田原総一朗

【パネリスト】
国光あやの(自民党衆議院議員、元厚生労働省医系技官、医師)
岡本充功立憲民主党衆議院議員、元厚生労働大臣政務官、医師)

岩本京子(テレビ朝日報道局厚生労働省担当)
大木隆生(東京慈恵会医科大学外科統括責任者、医師)
上昌広(NPO医療ガバナンス研究所理事長、医師)
林慶一郎(慶応大学教授、政府『新型コロナ対策分科会』メンバー)
神保哲生(ビデオジャーナリスト、ビデオニュース・ドットコム代表)
二木芳人(昭和大学医学部客員教授、医師)
舛添要一国際政治学者、前東京都知事、元厚生労働大臣
三浦瑠麗(国際政治学者、政府『成長戦略会議』民間議員)

ポナンザ開発者がAI将棋・囲碁を解説したこの本、「俺ですら」分かった気にさせる超名著だった!

自分はコンピューター将棋に関しての本はそれなりに好きで結構読んでいたけれど、この「人工知能はどのようにして名人を超えたのか」はその中でもダントツに分かりやすく面白いものでした。




というのはそもそも将棋コンピューターの中でエポックメイキングである「ボナンザ」ソフトを開発した人なのです。そういう開発者が一般人向けの解説が上手いとは限らないのだけれど、多分何度もインタビューや対談に引っ張りだされたこともあるのでしょう、 あるいは天性の資質かもしれないが、とにかく読み物として非常に面白いのです。


体系的に整えて文章を書くのではなく、箇条書きでメモしていきたいと思います。

コンピューター将棋に限らず知的な行動は二つの行為を駆使する。 それは「探索」と「評価」である。1+1は2と予想するのもある意味で探索と評価である。



コンピューターがこれをするには基本的に何かの行為を点数にしそれを計算していくという方法をとる。そもそもゲームを計算できる、点数にできるというのが思い切った発想。



今でこそ「チェスや将棋が計算可能」というのは当然に聞こえるが、1940年代は非常に思い切った発想だった。



ただそれは最初 「将棋の飛車なら1500点。桂馬なら500点」…みたいに色々手動で点数をつけて、それを結果から調整していく仕組みだった。この手法ではとても人間に勝てるようになれないと思われていた。



この難しい時代が長く続き、人工知能は冬の時代に入る。予算が少なかったり業界内で白い目で見られたり。



機械学習という言葉はこの時代に、「人工知能」という言葉を避けるために使われた、という節もある…



ところで、コンピューター将棋を理解する時に「コンピューターチェスとどう違うのか」を考えるとわかりやすい。持ち駒制度などがあり、場面・局面の数が多いから将棋はチェスより難しいのだろう、と思われがちだがそう単純ではない。



単純な数の多さより「そもそもどう評価する(点数をつける)のがいいか、計算手段が分からない」から、コンピューターの将棋はチェスより難しい。囲碁はさらに 難しいのである。



というのはチェスは機動力のある駒が多いので、激戦中の場所ににすぐに駒が駆けつけていく。将棋はそうではない。そのためチェスは盤面上にあるコマを計算対象にすれば局面も判断しやすいのです。将棋や囲碁はそうではない。



で、なかなかに難しい計算の方法…そこで発想を転換したコンピューターの開発者たち。「とりあえずプロの将棋指したちが残した棋譜がたくさんある。プロの指した手は、それ以外の手織り優れていると仮定し、それを機械学習で全部覚えさせることにしよう」というプログラムを組んだのです。ある場面でプロの指した手Aは、それ以外の手Bより高い点数をつける…この点数の付け方もそれはそれで大変だが、地道に作業を繰り返すうちにボナンザは少しずつ強くなってきました。



ちなみにこの時デジタル化されたプロ将棋の棋譜が約5万局。しかしそれでも足りないので、「反転の術」を使った。画像学習でも使われた手法で、例えば同じゴリラの画像でも反転させれば別の画像扱いになり、それを覚えることでが2倍学習できる。将棋も譜面をちょっと右や左にずらしたり左右反転させたりして、一局での学習例を何倍にもした。これは有効であっという間に広まった。



ボナンザが強くなるにつれて、―当然自分の実力も上回ってくるのでー、開発者すら「どうしてボナンザがこの手をうったのか説明がつかない」という、状況になってしまった。



この状況を人々は「黒魔術」と呼ぶ。
魔術というぐらいだから 非常に説明しにくいが、具体例として、「怠惰な並列化」と呼ばれる手法がある。無理に例えれば「一人のシェフより3人のシェフが、3人より10人のシェフが協力した方が早く料理を作れる」というイメージだったが、それが50人となると厨房が狭かったりで限界がある。そこである程度は協力するんだが、完成まではシェフが個別に、勝手に料理して、結果的に最初にできた料理を出せば一番早い…という形になっている。



人工知能機械学習が、徐々に近い意味を示すようになった。そしてディープラーニングが誕生した。はっきり言ってディープラーニングは未だ潜在能力がどのくらいあるかが分かるっていない。ちなみにボナンザは、ディープラーニングは使われていない。



10年前、この仕組みは散々な扱われ方をしていた。当初は「層を重ねる」ことがうまくいかずむしろ重なるほど性能が落ちた。この欠点をコツコツと改行して今のディープラーニングがある。



ディープラーニングの仕組み、「黒魔術」の一環として過学習を防ぐやり方がある。
過学習とは何か?例えば10万個のコップの画像を覚えさせて「コップ」と言う種類の物体を選ばせようとする時、今のコンピューターの性能は凄いのでその10万この画像を丸暗記してしまう。そこで途中途中で今入力した画像はコップであるという情報の途中途中をランダムに消してしまう。そうすると回る暗記ができなかった Deep Learning は必死で概念というか類推を行って、無事「こういう形の画像は『コップ』なんだなあ」と覚えてくれるんだそうです。なんでそうなる ?筆者は「正確な説明はとても難しい」とさじを投げる。これが黒魔術のひとつだそうだ。



ボナンザを強くするために強化学習を導入した。具体的には2014年以前のボナンザはプロキシが実際に刺した手をお手本として教師ありの学習をした。その後は実際にありえそうな局面を自動で対局させて、少しずつ強くなっていった。



具体的には86億局面を進めると、ほんの少しだけ強くなってくるというイメージ。ボナンザは現在までに約1兆程度の局面を調べている。電気代は毎月数十万はかかった。



その結果、2013年の電王戦で人間がコンピューターに負けた時の衝撃はもはやなく、プロ棋士がコンピューターから学ぶ時代になった。しかしこれほどコンピューターが進化したのは基本となるプロ棋士棋譜が優れていたからに他ならない。電脳戦でプロ棋士が見つけたある種もハメ技も、すぐに塞がれていった。これこそが進歩。



ところで将棋常に難しいと呼ばれたコンピューター囲碁が2016年、「アルファ碁」によって世界的な強豪を破った。これは衝撃的だった。


なぜコンピューター囲碁は将棋より衝撃的なのか?
それはチェスや将棋は、なんだかんだ言っても場面場面で「この場面こうした方が有利」とか「飛車は桂馬より点数が高い」とか数字化できる手がかりがあるからです。囲碁は、その時打った石がその後どうなっていくか、どの関係にどんな点数をつければいいかさっぱり分からない…のであった。



そんな中で突破口となったのが「モンテカルロ法」の応用であった。
モンテカルロ法とはカジノの名前が付いてるように簡単に言えばサイコロを振る手法。
作ってみた画像を参照のこと

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コンピューター囲碁を強くした「モンテカルロ法」とは…の解説図解

で、要はモンテカルロ法囲碁に使うというのは「適当に碁石を打ってもらい、勝ったり負けたりする。結果的に勝つ確率が高い方法は分かる。その方法を採用していく」というなんとものちから技。だがこれはいわば「評価」を一回もしないで「探索」だけで囲碁の問題を解決したということ。これはすごいことだった。アマチュア初心者の囲碁が、一気にアマチュアの高段者になった。



しかしディープラーニングは、このモンテカルロ法が頭打ちになり「プロの棋士にはどうやっても勝てない」と研究者が悩むようになってから颯爽と登場する。



ディープラーニングはどう問題を解決したか。すごくはしょって言えば「囲碁の局面を画像として処理した」のである。



ディープラーニング囲碁の前に懐かしの「ブロック崩し」も画像として処理することで高得点を出すプログラムを開発したのだそうです。



この画像として処理するという方法はモンテカルロ法が一旦諦めた「評価」であった。この結果として評価と強化学習悪魔合体し、飛躍的にディープラーニングは強くなったのであった。



最終的にアルファ碁はモンテカルロ法と「評価」と、そして「打ち手予測器」の 三つの機能が重なり合わせている。エヴァンゲリオンのマギシステムみたいに?別々の要素が重なって、その平均を撮ることで単独よりさらに強くなったのである。


その後も、いろんな話があったり、囲碁棋士との対談が収録されたりしているのですが、いやほんとにめっぽう面白い本でした。

遊んで将棋が強くなる! 銀星将棋DX - Switch

遊んで将棋が強くなる! 銀星将棋DX - Switch

  • 発売日: 2017/12/14
  • メディア: Video Game