「Nagasaki」がせりふに使われたのはドラマのシーズン1(計18話)第2話「ビッグ・スリー」。主要人物の一人、俳優ケビンがコメディードラマで道化役を続けるのに嫌気が差し降板を決意、テレビ局の代表と会話する場面だ。ケビンに対し代表は言う。
「If you do,I'll be forced to Nagasaki your life and career.(もし降りるなら、君のキャリアを徹底的につぶすしかない)」
さらに、かつて人気だった別の俳優の名前を挙げ、自分に逆らった俳優の末路を思い知らせようとする。
「I Nagasak'd him.(私がつぶした)」
(日本語訳はDVD吹き替え版、英語は英語字幕より)
日本市場向けに作品の字幕・吹き替え製作を担当した東北新社(東京)によると「Nagasaki」という単語が動詞に使われたケースは「確認できる範囲では、過去に事例はない」といい「このような使い方をされていることに驚いた」と話した。
一般的な辞書には記載がなく、特殊な俗語表現とみられる。
西日本新聞は電話とメールでNBCに取材、表現の意図をただしたが、同社広報担当者は回答しなかった。NBCの発注でドラマを製作した米国の20世紀フォックステレビジョンは取材に対し「プロデューサーは、エピソード自体に語らせることを望んでおり、残念ながらそのことについて話すつもりはない」と回答した。
ブクマで、2題については既にふれた
「ナガサキする」意味は「破壊する」 米ドラマのせりふ|【西日本新聞ニュース】b.hatena.ne.jp【質問1】これに対して、長崎市長(権力者)が「これは遺憾だ」と発言した場合、表現の自由的にはOK?NG?(実際そういう事例もあった筈だ…)/【質問2】「悪役の、悪の発言場面だからOK」って他にも応用可能?
2019/08/08 22:59
(1)行政はこれに発言可能か
もちろん「あいちトリエンナーレ」の大阪・愛知知事の論争から派生して考えている。
また、参考として曽我部教授が弁護士ドットコムニュースで話したものを採録しよう
(2)「政治家が批判するのも『表現の自由』だ」
今回、政治家が展示を批判しましたが、その批判そのものを「表現の自由」であるとして正当化する議論が見られました。しかし、これは不適切です。
もちろん、純粋に一私人としての発言であれば自由ですが、政治家には法令上の権限や事実上の大きな影響力があり、展示に対して大きな圧力となります。一私人としての発言と政治家としての発言を区別することは困難です。
(3)「市長や官房長官の発言は『憲法21条2項』で禁止されている検閲だ」
河村市長や官房長官は中止させる権限を持っているわけではなく、実際にも中止の理由は、市民の抗議が度を越した状態になったということなので、決定的な理由となったわけではなく、憲法でいうところの「検閲」にはあたりません。
ただし、不当な介入だという程度の意味で「検閲」だというのであれば差し支えはありません。実際、市長は実行委員会の主要メンバーでありますし、官房長官は極めて影響力の大きな人物で、その発言は大きな圧力となりえます。本来は大村秀章知事の言うように、展示内容に口を挟む立場にはないはずで、不当な発言でした。
日本ペンクラブ(吉岡忍会長)は「行政の要人によるこうした発言は政治的圧力そのものであり、憲法21条2項が禁じている『検閲』にもつながるものであることは言うまでもない」という声明を出しています。微妙な言い方ですが、少なくともミスリーディング(誤解を招くおそれがある内容)です。
とすると、たとえば長崎県知事や長崎市長も、たとえばこれについて批判できない、不使用要求をすることはできない、という結論なのかな?
……という問題意識で検索したら、アメリカの事例でこういうのがあった。
www.sankei.com
ニューヨークの地下鉄の車両内に、旭日旗やナチス時代のドイツ軍記章をイメージさせるドラマの広告が掲示され、物議を醸している。デブラシオ市長は24日、「侮辱的だ」と批判し、ドラマをインターネット配信している米ネット通販大手アマゾン・コムに広告の撤去を要求。同社は撤去を決めた。複数の米メディアが報じた。
(略)
広告は、旭日旗の光線の部分が青色で一部に赤い星が入ったような図柄と、米国旗の星の部分がナチスの軍記章のようになっているデザインの2種類。マンハッタンの中心部を走る地下鉄車両の座席表面をラッピングする形で掲示された。広告は地下鉄で定められた掲載の基準に沿っていたが、デブラシオ市長は第2次大戦やドイツのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の生存者らにとって「無責任で侮辱的だ」と非難していた。(共同)
これちょっと、記事のタイトルはおかしいというか中途半端で「旭日旗の広告」というより「第二次世界大戦でナチスと軍国日本が勝利したIFの歴史を描いたドラマのCM(だからハーケンクロイツもある)」なんだけどね。
だけど、今回の話には応用できる。市長が非難し、地下鉄広告掲載基準にはのっとっていたのに、撤去が決まったと。
「悪役の悪として描くからセーフ」はありか
日本版DVDの発売元、20世紀フォックス ホームエンターテイメント ジャパン(東京)マーケティング本部の佐藤まゆみTV部長は「個人的な考え」とした上で「『ナガサキする』と言い放った人物はテレビ局の経営陣でいわば知識層。無知ではないのに、意図的に、驚くような不快な発言をする『究極の嫌なヤツ』というキャラクター設定上の狙いがあったと思う。
「脚本家のダン・フォーゲルマンさんはまだ40代で、作品歴を見るとピクサーのアニメ映画を多く手掛けています。弱者の立場に寄り添った作品を作ってきた人。ですから、悪質なキャラクターを強調するため、普段言わない特別な言葉をあえて使ったんでしょう」
(略)-製作側は原爆投下を肯定する立場ではない?
「悪人ですから、言った人は。情け容赦ない悪い人の言葉ですよ。『ナガサキするぞ』という言葉はものすごく悪のものとして、批判的に描いていると受け取れます」
「これは劇中で、悪役が、悪の表現として差別発言や差別行為(あるいは犯罪行為)をしているんです。だから問題ない」って話、これまで認められてこなかった弁明だ、と認識してるんだけど、大丈夫だったのかな、実は。
だがドラマをはじめとする物語、悪役と善玉を「これはええもん」「これはわるいもん」と明確に分類できるのは、やっぱり”お子様向け”というか単純な作品なんじゃないか、とも思うのです。ちょっと複雑なドラマだと、悪の中にも善があり、善の中にも悪がある。ドズル・ザビやオーベルシュタインが差別的発言をしたとして、「これは悪役のセリフですから」で済むのか。というかドラマだと、その後ひきのばしとか路線変更で、善玉がいい役になる可能性もあるじゃん。このテレビ局代表が、キン肉マンや男塾並みに、あとで頼れるタッグパートナーとして登場したらどないすんじゃろか…、と思ったのでした。
3 プロデューサーの回答
ドラマを製作した米国の20世紀フォックステレビジョンは取材に対し「プロデューサーは、エピソード自体に語らせることを望んでおり、残念ながらそのことについて話すつもりはない」と回答した。
これ、使えますね。